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中ちゃん の 俳 句 ひ と く ち メ モ


■01--93/06/05『中ちゃんの俳句ひとくちメモ』/中ちゃん

中ちゃん:句会の作法とは、どのようなものですか?
先生  :俳句は庶民の文芸です。作法といった、堅苦しいものはありません。
中ちゃん:でも、心得みたいなものは、あるでしょう?
先生  :そうですね、しいて言えば、<質素>と<思いやり>でしょうか。

句会はまことに質素です。参加費は1000円程度で、それで半日遊べます。
ゴルフなどに比べると、ケタが違いますよね。

短冊も立派な紙は使わず、わら半紙みたいなもので済ませます。
広告の裏なども使います。紙の善し悪しで、句の質が左右されるわけではありま
せんものね。(^^)

<思いやり>とは、「他人の句のよいところを、見つけてあげましょう」という
意味だと思います。

例えば、5句選なのに自分が良いと思う句が3つしかなかった場合、その3句だ
け選んで終わりにしてしまうことは、ありません。
少しでも見どころのある句を何とか捜して、無理にでも5句選びます。
これが<思いやり>ということでしょう。
                                中ちゃん


■02--93/06/07『中ちゃんの俳句ひとくちメモ』/中ちゃん

中ちゃん:俳句に季題は、どうしても必要ですか??
先生  :俳句は季節を歌う詩形ですから、季題はなくてはならないですね。川
     柳なら、季題は必要ありませんが…。
中ちゃん:歳時記に載っていなければ、季題とは言えないのですか??
先生  :そんなことは、ありません。季題は時代とともに変るものです。新し
     い季題で詠まれた句が、すばらしい作品であれば、歳時記のほうがそ
     れを季題として採用する・・というのが順序です。

この「先生」はホトトギス同人、すなわち伝統俳句派のかたですから、当然、季
題に重きを置きます。しかし、現代俳句の一部には、季題を必須とはしない派も
あります。(^^)
                    現代俳句も嫌いじゃない 中ちゃん


■03--93/06/08『中ちゃんの俳句ひとくちメモ』/中ちゃん

中ちゃん:俳句の上達方法を教えてください。
先生  :とにかく、沢山作って、沢山捨てることでしょうね。そしてスランプ
     のときにも句作を続けることです。
中ちゃん:初心者が句会に出席するのは、まだ早いですか??
先生  :そんなことは、まったくありません。俳句は超短詩形ですから、初心
     者が偶然にすばらしい句を作ってしまうことは、ままあることです。

実際の句会でも、初心者の句がよく選ばれて、「大先生」の句がちっとも選ばれ
ないということが、結構ありますヨ。(^^)

     仕事を早目に切り上げて、職場からアクセスしている 中ちゃん(^^;


■04--93/06/09『中ちゃんの俳句ひとくちメモ』/中ちゃん

中ちゃん:句を詠むときの基本姿勢とは、どのようなものでしょうか??
先生  :それは<写生>の一言につきますね。主観を述べるのではなく、なる
     べく客観的に<写生>してください。

※<写生>は、どのような派にも共通した姿勢のようです。俳句でいう<写生>
 とは事実をそのまま「報告」するのではなく、事実をいったん心の中で熟成さ
 せてから詠むことを指しているようです。

                なかなか<写生>に徹しきれない 中ちゃん


■05--93/06/09『中ちゃんの俳句ひとくちメモ』/中ちゃん

中ちゃん:先生の句は美しいものばかりが詠まれていますが、もっとドロドロと
     したものはお詠みにならないのですか??
先生  :世の中は、元来汚くドロドロとしたものです。だから、せめて俳句の
     世界では、美しくしていたいではありませんか。

※この先生は伝統俳句派ですから、「花鳥諷詠」を旨としておられます。むろん
 「花鳥諷詠」にこだわらない派もあります。

             最近、「花鳥諷詠」が好きになってきた 中ちゃん


■06--93/06/11『中ちゃんの俳句ひとくちメモ』/中ちゃん

中ちゃん:<動く句>はよくないとされていますが、<動く句>とはどのような
     ものでしょうか??
先生  :季題と句の内容との間に必然的な関係がないような句のことです。
中ちゃん:具体的にはどのような句ですか??
先生  :たとえば<春風や根岸の里の侘び住い>という句があったとします。
     この句は<秋風や根岸の里の侘び住い>と詠んでもかまわないし、ま
     た<降る雪や根岸の里の侘び住い>と詠んでもよい。
     要するに句の内容が季題と関係がないので、ほかの季題に<動いて>
     しまうことができるのです。

※中ちゃんも<動く句>はしょっちゅう作っています。<動かない句>ができれ
 ば、その句はそれだけで秀句と言えるでしょうネ。(^^)

         今夜の宴会では酒は控え目にしようと考えている 中ちゃん


■07--93/06/12『中ちゃんの俳句ひとくちメモ』/中ちゃん

中ちゃん:俳句は旧仮名づかいで書かなければ、いけないのですか??
先生  :そういう決まりはありません。ただ、私は旧仮名づかいに慣れている
     ので、そうしているだけです。
     また、俳句は文語体の流れを引いているので、どうしても、旧仮名づ
     かいになってしまうのでしょう。
     俳句は目で読むだけではなく、耳で聞くものでもありますので、現代
     仮名づかいでも、かまわないと思います。

※大家の句でも、現代仮名づかいの句があります。また、旧仮名づかいと現代仮
 名づかいをごちゃまぜにしている句もあります。旧仮名づかいと現代仮名づか
 いの境界線は、かならずしも明確ではないようですネ。(^^)

             今日の宴会は酒を控えることに成功した 中ちゃん


■08--93/06/12『中ちゃんの俳句ひとくちメモ』/中ちゃん

中ちゃん:先生は、現代俳句について、どうお考えですか??
先生  :俳句は季節を詠むものです。ですから、現代俳句の中でも無季のもの
     は、俳句とは考えていません。あれは川柳といったほうが、よいでし
     ょう。
中ちゃん:有季の現代俳句については、いかがですか??
先生  :あまり好きではありません。現代俳句は、詩の言葉としては未成熟な
     言葉を、使い過ぎるような気がします。

※この先生は伝統俳句派の先生ですから、上のようにお考えになるのは当然のこ
 とでしょう。しかし、中ちゃんは現代俳句にも良いものが沢山あると考えてい
 ます。

※現代俳句の大御所、金子兜太氏は中学生が作った次のような句を、こよなく愛
 します。

   古池や蛙飛びこみ複雑骨折

ははは。面白いですよね。これはこれで非常に面白い。確かに「詩の言葉として
未成熟な言葉」が使われていますが、面白いことは否定できない。

※伝統俳句派と現代俳句派は、反目しあっているようなところがあります。
 でも、中ちゃんに言わせれば、両者は別のジャンルなのだから、反目する必要
 もないのではないか。
 たとえばジャズもロックも「音楽」には違いないが、ジャンルが違うし、反目
 もしていません。だから、伝統俳句も現代俳句もどちらも「俳句」であるが、
 ジャンルが違うだけ・・・と考えたらよいと思います。(^^)

                    明日の開句にわくわくの 中ちゃん


■09--93/06/12『中ちゃんの名句観賞』/中ちゃん

石田波郷は、中ちゃんの好きな俳人の一人です。若くして亡くなったのですが、
数多くの秀句を遺しています。
結核で闘病生活が長かったので、病の句も多いです。しかし、句はさっぱりとし
ています。

   プラタナス夜もみどりなる夏は来ぬ
   病床に鉛筆失せぬ夏の暮
   驟雨過の松の点滴浴びゆくや
   日盛りのシャワー痩躯を荘厳す
   更衣胸の創痕うち裏む

「波郷が好きです」と俳句の先生に言ったら、返事は「そうですか」だけでした
先生は波郷があまりお好きではないのかなぁ。(^^;

                ほかにも何人も好きな俳人がいる 中ちゃん。


■10--93/06/13『中ちゃんの俳句ひとくちメモ』/中ちゃん

中ちゃん:季題のことなんですが、<ブランコ>が春の季題だとか<熱帯魚>が
     夏の季題だというのが、どうもピンと来ないのですが…。
先生  :いずれも新しい季題ですね。といっても、たぶん大正時代くらいに季
     題として認められるようになったのだと思いますが…。
     当時、この季題で秀句がいくつも詠まれたのですね。それで、季題と
     して確立した。
     一度、季題として確立すると、その後はそれをひとつの<約束事>と
     して、さらに多くの句が作られるようになります。
     この<約束事>が身についてしまえば、いっそう深く句を味わうこと
     ができます。
     中ちゃんも、そのうち、ピンと来るようになりますよ(笑)。

※うーん。季題ってそういうものなのかぁ。(*_*)

                開句をいまかいまかと待っている 中ちゃん


■11--93/06/13『中ちゃんの俳句ひとくちメモ』/中ちゃん

普通の句会では、7句出句して10句選句する会が多いようです。
かりに句会の参加者が50人だとしますと、総数350句が出句されます。
これらの句を1,2時間で選句するわけですから、1句当たり数秒で読み、かつ
味あわなくてはなりません。←これって、慣れないとけっこう疲れますヨ。

350句も出句があると、選句するときの基準は、もうほとんど「直感」しかな
いですね。(^^;

その点、今回の第1回QLDボード句会は、出句が21句ですから、ゆったりと
選句できました。(^^)
選句の時間制限に追われることもなく、ボード句会ってなかなかいいものだなと
しみじみ思っています。

              今日1日、自宅から一歩も出なかった 中ちゃん


■12--93/06/16『中ちゃんの俳句ひとくちメモ』/中ちゃん

中ちゃん:<季重なり>とは、ひとつの句に季題が2つ以上出てくることで、こ
     れは、よくないと言いますが、なぜですか??
先生  :<季重なり>は、避けたほうがよいですね。なぜなら、句の論点が拡
     散してしまうからです。
     どんな季題でも、みな歴史と含蓄のある言葉です。そのような言葉を
     1句に2つ使用すると、それぞれの含蓄がぶつかり合って、かえって
     意味がわからなくなってしまいます。

※中ちゃんも、うっかり<季重なり>をやってしまうことがあります。その言葉
 が季題であることを知らずに詠んでしまうのね。たとえば・・・

   蒸し暑き夏はビールにかぎるかな

なんてね。(^^;  じつは「蒸し暑し」も「ビール」も夏の季題なんですよね。
だから、この句は「夏」も含めて季題が3つも出てきているわけです。当然、中
ちゃんの所属する結社では、このような句は採られません。

うっかりミスによる<季重なり>を防ぐためにも、歳時記調べは欠かせませんね。
もっとも、先生は「季題が2つ出てくる名句もある。ただし、どちらか一方の季
題に重点が置かれていて、他方は副次的な場合である」とも言っておられました。

            今日は午後からフリーデイの 中ちゃん でした(^^)


■13--93/06/17『中ちゃんの俳句ひとくちメモ』/中ちゃん

中ちゃん:選句をするということは、なかなかシンドイものですね。
先生  :そりゃそうでしょう。選句はたんなる<批評>ではありませんからね
中ちゃん:と言いますと??
先生  :選句を見れば、選句した人の俳句のレベルはもちろん、その人の性格
     まで分かってしまいます。
中ちゃん:そうですね。ある程度分かりますね。
先生  :ある程度どころか、私はほぼ完全に分かります。だから、選句は<自
     己表現>でもあるのです。
中ちゃん:選句は<自己表現>ですか。
先生  :そうです。選句は<批評>であると同時に<自己表現>なのです。
     自分のセンスを他のみなさんにさらけだすという意味でね。だからこ
     そ、選句はシンドイのですね(笑)。

※選句は<自己表現>なので、一面ではシンドクても、<自己表現>は一面では
 楽しいものと言えます。
 これからも地道にボード句会を続けましょう。
 みんな初心者なのだから、気軽にやりましょう。(^^)
 この次のボード句会は、もっと参加者が増えるといいですね。みなさん、仲間
 をどこぞから引っぱってきてください。(^^)

                     今日はもう寝るぞ、の 中ちゃん


■14--93/06/17『中ちゃんの名句観賞』/中ちゃん

今回は、富安風生をご紹介します。風生は大変分かりやすい句を作る俳人です。
中ちゃんの先生も風生は好きみたいです。

   百合消えてなほうら山の夏つづく
   さめざめと泣きし夢さめ明易き
   夏空へ雲のらくがき奔放に
   海女が戸の牡丹ぬるる虎が雨
   をだまきに露微塵なる五月富士

こうして並べてみると、風生は<季重なり>をよくやる人ですね。
1句目の「百合」と「夏」。
4句目の「牡丹」(ここでは、ぼうたんと読む)と「虎が雨」。
5句目の「をだまき」と「五月富士」(さつきふじ)。

風生は大家だから、<季重なり>をやってもサマになりますが、われわれ初心者
はマネしないほうがいいみたい。(^^)

「虎が雨」は、陰暦5月28日の雨で、この日討たれた曽我の十郎の愛人、大磯
の虎御前の涙が雨となって降る、という伝説に基づくそうです。(^^;

                  いま職場を出ようとしている 中ちゃん


■15--93/06/21『中ちゃんの名句観賞』/中ちゃん

今回はちょっと趣向を変えて、現代俳句の坪内稔典の句をご紹介します。

   三月の甘納豆のうふふふふ

なんと不思議な魅力をもった句でしょうか。
謎めいていて、一度読んだら忘れられないほど印象的ですね。坪内稔典の甘納豆
シリーズのなかでも、出色の句だと思います。

彼は甘納豆の他にも、河馬をモチーフにした句をよく詠みます。

   河馬になる老人が好き秋日和
   桜散るあなたも河馬になりなさい
   水中の河馬が燃えます牡丹雪

論理を越えたところで、可笑しみや哀愁を感じさせる、言葉の魔術というか、言
葉のワザが冴えていますね。
ちゃんと季題もあるし、575だし、現代俳句といっても「有季定型」を守って
いるところが律義です。

伝統俳句派の句会や句誌では、このような句は採られないでしょう。でも、やっ
ぱり面白いものは面白いと、中ちゃんは思います。

            今日も仕事を早目に切り上げちゃった(^^; 中ちゃん


■16--93/06/27『中ちゃんの俳句ひとくちメモ』/中ちゃん

中ちゃん:<見立ての句>は、よくないそうですが、どういう句ですか??
先生  :たとえば/れんこんのくびれくびれの鬼の腕/というようなのが<見
     立ての句>です。
中ちゃん:この句の、どこがいけないのですか??
先生  :れんこんを鬼の腕に見立てているところが、俗っぽい感じがします。
     /くびれくびれ/というのも、ちょっとわざとらしいですね。
中ちゃん:他には、どんな例が??
先生  :/雪渓のふんどし一本野が緊まる/という句は、雪渓をふんどしに見
     立てているわけです。ですが、<見立て>をやると、どうしても一人
     よがりの句になってしまい、句の格調が下がります。

※中ちゃんの先生は伝統俳句派のかたですから、句の「格調」をたいへん重んじ
 ます。もっとも、現代俳句が「格調」を重んじないわけではないのですが、伝
 統俳句派に比べれば、制限がゆるいようです。

※その制限のゆるい現代俳句でも<見立ての句>はあまり作られないようです。
 やっぱり<見立て>は、<写生>と似て非なるものだからなのでしょうね。

               ついつい<見立て>をやってしまう 中ちゃん


■17--93/06/28『中ちゃんの名句観賞』/中ちゃん

当句会には女性も多いので、今回は(確か)戦前に女流3Hの一人として一世を
風靡した星野立子をご紹介します。

   アラビヤの空を我ゆく夏の星
   夏の朝病児によべの灯を消しぬ
   夕立に一顧もくれず読書かな
   美しき緑走れり夏料理
   薔薇の香かいまゆきすぎし人の香か

「アラビヤの・・」は、同じ夏の星がアラビヤでも見えるであろうことを想定し
た宇宙的視点の句ですね。(立子はアラビヤには行ったことがないと思います)

「夕立に・・」は、立子の男勝りの性格が感じ取れます。ホントは夕立が気にな
るくせに、無理に無視してるんだにゃ。

「薔薇の香か・・」は、かなりキザな句ですね。こんなキザな句を堂々と詠むと
ころに、立子の人気の秘密があったのかも知れませんです。

中ちゃんは個人的には、女流では中村汀女のいわゆる「台所俳句」が好き。
そのうち、ご紹介しますね。(^^)

        明日は一週間のうちで、一番仕事が大変なんだ の 中ちゃん


■18--93/06/29『字余り字足らずについて』/中ちゃん

こひつじさん

字余り字足らずは、中ちゃんは「わざとやるもの」と思っています。
字余り字足らずにしたほうが、句の効果が出るときのみ、採用するテクニックな
んですね。

だから、言葉がうまく編み出せずに、結果として字余り字足らずになってしまう
のは、まあ、失敗作ということになりますね。(^^)

例によって、中ちゃんの先生に聞いてみましょう。

中ちゃん:字余り字足らずは、どの程度まで許されるのでしょうか??
先生  :べつに制限はありません。
中ちゃん:んなこと言っても、常識のようなものが、あるのでは??
先生  :上5は、かなり字余りになっても、句のリズムは保たれますね。
中ちゃん:例えば、どういうことでしょうか??
先生  :例えば、/憲法記念日裏町長屋見透しに/(石川桂郎)の上5はそう
     とう字余りですが、さほど気にならないでしょう。
中ちゃん:確かに上5の字余りは、許せますね。
先生  :中7、下5の字余りは、なかなか難しいです。
中ちゃん:初心者は字余り字足らずは、やらないほうがいいですか??
先生  :そんなことは、ありません。好きなようにやってください。
中ちゃん:???
先生  :俳句は、要するにテキトウなんですよ。読んで心地よければ、それで
     よいのです。
中ちゃん:うーん。そんなもんですかぁ。

                今日は、したたか飲んでしまった 中ちゃん


■19--93/06/30『中ちゃんの俳句ひとくちメモ』/中ちゃん

中ちゃん:/お月見のそなえ餅にも消費税/ という句は、どうですか??
先生  :あまり、感心しませんねぇ。
中ちゃん:どういう点が、まずいのでしょうか??
先生  :この句が<風刺の句>だからです。
中ちゃん:俳句では、風刺はやってはいけないのですか??
先生  :風刺をやりますと、どうしても、俳句のもつ情緒が薄れてしまいます。
     風刺は川柳にまかせておけばよいでしょう。

※この先生は「花鳥諷詠」を旨とする派ですから、風刺や時事を嫌うのは当然で
 しょう。
※しかしながら、現代俳句や前衛俳句にも、風刺や時事を扱ったものは、あまり
 見かけません。
※風刺や時事は、やはり、俳句の世界とは対極にある事柄なのだろうと、中ちゃ
 んも思います。
             次の句会へ向けて、もう句作を始めている中ちゃん


■20--93/07/2『中ちゃんの俳句ひとくちメモ』/中ちゃん1

A氏  :一度、句誌というものを見てみたいんだけどねぇ。
中ちゃん:申し込めば、有料で見本誌を送ってもらえるよ。
A氏  :日本には、どのくらいの数の句誌があるのかね??
中ちゃん:700から800くらいある。
A氏  :そんなにあるのかぁ。
中ちゃん:作風もさまざまだ。
A氏  :どうやって、句誌を選べばいい??
中ちゃん:見本誌を見て、自分の感性に合った句誌を選べばいい。見本誌は1冊
     500ー1000円だ。
A氏  :申し込み先が分からない。
中ちゃん:角川の月間『俳句』や富士見書房の『俳句研究』に、句誌の宣伝がた
     くさん載ってるよ。
A氏  :すべての見本誌を送ってもらうわけにもいかないしなぁ。
中ちゃん:まあ、運というか縁というか、出会いだね。適当に2、3あたりをつ
     けては、どう??
A氏  :なにか、ご推薦の句誌はないかね??
中ちゃん:それは自分で選ぶべきだ。ぼくは『牡丹』と『晨(あした)』に縁が
     あったが、それがAさんに向いているかどうかは、分からない。
A氏  :じゃぁ、とにかく『牡丹』と『晨』の連絡先を教えてくれよ。
中ちゃん:わかった。
                                中ちゃん


■21--93/07/03『中ちゃんの俳句ひとくちメモ』/中ちゃん

中ちゃん:/落葉して歯ぎしりだけの風の木々/ という句は、なかなかよいと
     思うのですが…。
先生  :私はそうは思わないですねぇ。
中ちゃん:どこが、いけないんですか??
先生  :素直でないというか、理屈っぽいんです。いわゆる<理屈の句>です
     ね。
中ちゃん:/なにごとも辛抱といふ元日訓/ という句は、どうですか??
先生  :この句は、俳句というより警句ですね。教訓を取り扱っているので俳
     句としては感心しません。

※俳句では「写生」(目前の情景を無雑作に言ってのける)が非常に重視される
 ので、上のような「理屈」や「教訓」は嫌われるようです。

※俳句でいう「写生」とは、事実をありのままに伝達することではなく、そこに
 作者の「発見」があって、それを表現することだそうです。

※「発見」というと、中ちゃんは週間朝日の山藤章二の似顔絵コーナーを連想し
 ます。似顔絵を見ると「この人の顔には、こんな特徴があったのか」と驚かさ
 れることがしばしばです。似顔絵には作者の「発見」が含まれています。俳句
 でいう「発見」も同じようなことなのだろうと、中ちゃんは思っています。

                 きょうは久々に朝寝坊ができた 中ちゃん


■22--93/07/03『中ちゃんの俳句ひとくちメモ』/中ちゃん

俳句は超短詩形ですから、ちょっとした添削で、句が随分よくなることがありま
す。以下に「大先生」による添削の例をご紹介します。

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   (原句)雪だるま泥にまみれて消えかかる

「泥にまみれて」は大げさである。「消えかかる」も不明瞭な言い方である。
次のようにすれば、よいでしょう。

   (添削句)雪だるま土汚れして痩せて来し

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   (原句)薄氷を踏みくだきをりランドセル

これではランドセルの子が薄氷を踏みくだいていることが、ピンと分からない。

   (添削句)ランドセル躍らせくだく薄氷(うすごおり)

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   (原句)御仏にたてまつるなり牡丹剪る

「たてまつるなり」は、肩に力がはいっている。

   (添削句)御仏にたてまつらんと牡丹剪る

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こんな具合に「大先生」に添削してもらうと、勉強になりますヨ。

           ヒマなので、何度もUPしてしまう 中ちゃん でした


■23--93/07/06『中ちゃんの名句観賞』/中ちゃん

前回に引き続き、今回も女流を取り上げます。中ちゃんの大好きな女流の一人、
中村汀女です。彼女は明治33年生まれで、つい2、3年前に亡くなりましたか
ら、90歳くらいまで存命だった人です。(俳人には長命の人が多い)。

汀女は高級官僚の奥さんで、句に主婦のセンスがよく出ており、彼女の句は一時
「台所俳句」と呼ばれました。

前回ご紹介した星野立子とは、昭和22年に互選句集を出しています。

汀女はなかなかの美人で、晩年でも「きれいなお婆さん」でした。中ちゃんのカ
ミさんにも、「きれいなお婆さん」になってほしいと願っています。(^^;

   風邪の子が留守あづかるといひくれし
   濯ぎもの乾けばよき日雁渡る
   子連れとてとく帰りけり夕時雨
   息白く甲斐甲斐しさの人に伍し
   手袋は心定めず指にはめ

      (自選自解 中村汀女句集 白凰社刊より)

「自解」によれば、「風邪の子」も「子連れ」も、自分の子供ではなく、自分の
家に来たお客の子供だそうです。でも自分の子のことのようにも読めますよね。

「息白く」は朝の出勤者の風景だそうです。
朝の出勤者に立ち混ざると、主婦である自分にもなにか気の張りが出てくると、
汀女は言っています。

「手袋」の句は、手袋を手にかぶせれば、そこから先は指が心得て手袋をかたち
づくっていくサマを詠んだそうです。

「濯ぎもの」の句は説明不要ですね。(^^)

                今日も豊橋のボロ下宿で一人寝の 中ちゃん


■24--93/07/15『中ちゃんの名句観賞』/中ちゃん

ひばりさんからご質問のあった「愛だの恋だの」の句を集めてみました。
いずれも、名句です。

   ひとの恋あはれにをはる卯浪(うなみ)かな (安住敦)
   むかし汝(な)に贈りし聖書晩夏光     (三谷昭)
   おそるべき君等の乳房夏来る        (西東三鬼)
   虹に謝す妻よりほかに女知らず       (中村草田男)
   逢ひに行く開襟の背に風溜(た)めて    (草間時彦)

もっと「濃厚」な句もあるのですが、さすがに名句と呼ばれている句は、みな抑
えた詠み方をしていますね。露骨に詠むと、底が浅くなってしまうからでしょう
か。(^^)
                                中ちゃん


■25--93/07/17『中ちゃんの俳句ひとくちメモ』/中ちゃん

中ちゃん:<月並み俳句>とは、どのようなものですか??
先生  :<月並み俳句>とは、写生でない句のことです。
中ちゃん:<ありふれた俳句>ということではないのですか??
先生  :そういう意味もありますが、子規たちは写生でない句を<月並み>と
     呼んでいました。
中ちゃん:<月並み>とは、たんに<ありふれた>というだけの意味ではないの
     ですね??
先生  :そうです。
中ちゃん:花鳥諷詠は、いわゆる<絵葉書俳句>ができやすいと思いますが…。
先生  :そういう批判もあります。
中ちゃん:その点については、この次に詳しくおうかがいします。
先生  :そうですね。話すと長くなりますから…。

                  明日の日曜は夕方から出勤の 中ちゃん


■26--93/07/20『中ちゃんの俳句ひとくちメモ』/中ちゃん

中ちゃん:<花鳥諷詠>は<絵葉書俳句>だとの批判がありますね。
先生  :そういう批判はありますが、当たっていないと思います。
中ちゃん:どんなことですか??
先生  :絵葉書にも、良いのとそうでないのがあるということです。
中ちゃん:???
先生  :単に美しいだけでなく、そこに作者固有の<発見>がはいっていれば
     それは良い絵葉書だと言えるでしょう。
中ちゃん:そうかも知れませんね。
先生  :<花鳥諷詠>を認めない派の俳句にも、絵葉書以下の句がいくらもあ
     りますよ。<花鳥諷詠>は、重んじるべきだと思います。
中ちゃん:<花鳥諷詠>の枠の中で、良い句を作れということですね??
先生  :そうです。仮に<花鳥諷詠>の枠を外したとしても、それで良い句が
     作れるとは限らないのです。<花鳥諷詠>でないと、かえって陳腐な
     句ができやすい、という現象もあるんですよ。

※中ちゃんは初心者なので、なるべく<花鳥諷詠>で練習していこうと思ってい
 ます。
※でも、いずれは<花鳥諷詠>の枠を取り払って、独創的な句業ができたらいい
 な、とも思います。マッタクノ リソウ ニ スギマセンガ(^^;
                                中ちゃん


■27--93/07/21『中ちゃんの名句観賞』/中ちゃん

今回は現代俳句の宇佐美魚目(ぎょもく)氏をご紹介します。現代俳句といって
も有季定型です。

氏は名古屋の地元新聞の投句欄の選者もやっておられます。哲学的というか、や
や難解な作風ですが、端正な句です。味わってみてください。

   半眼に世は見えにけり黴畳
   含羞をいのちその他は明易し
   黴の中白象の目をおもひけり
   身の力抜けよ抜けよと鳴く亀か
   初かはづ七つで明を失ひし

5年ほど前、中ちゃんたちのグループの句会に氏に定期的に来てくださるよう、
お願いしたことがあります。
しかし、「体調がすぐれず、いま活動範囲を縮小しているところです」と断わら
れました。氏は書家でもあります(>こひつじさん)。

中ちゃんは氏が主宰をしている句誌にも、一時期投句していました。一度だけ氏
に褒められたことがあります。それは次の句です。

   炎昼の古き市場の暗き奥 中ちゃん

        わーい。 今日と明日は午後はフリータイムだいっの中ちゃん


■28--93/07/22『中ちゃんの俳句ひとくちメモ』/中ちゃん

A氏  :中ちゃんの俳句の先生って、どんな人??
中ちゃん:77歳でホトトギスの重鎮だ。年はとっても、すごいハンサムで長谷
     川一夫や上原健みたいな感じ。それに威厳もある。
A氏  :じゃあ、女性にモテるだろうね。
中ちゃん:モテること、モテること。ただし、女性といってもお婆さんばかりだ
     けどね。(^^;
A氏  :お婆さんたちが、キャーキャー言うの??
中ちゃん:キャーキャーとは言わないが、それに近い。
A氏  :たとえば、どんなふうに??
中ちゃん:まず、先生を見る目が違うね。潤んでるの。
A氏  :それから??
中ちゃん:恋のサヤ当てが、すごい。それが先生の選句を巡って現われてくる。
A氏  :どんなふうに??
中ちゃん:誰それさんの句は、先生に三句採られたけど、私は一句だけだったと
     か言って、ヒソヒソと噂しあうの。
A氏  :嫉妬するんだね。
中ちゃん:そう。それを先生も知ってて、なかなか気を使っているみたいだよ。
     主宰を勤めるのも大変だ。

A氏  :年はとってても、女学生みたいだね。
中ちゃん:まったく、みんな女学生みたいだよ。(^^;
                                中ちゃん


■29--93/07/24『中ちゃんの俳句ひとくちメモ』/中ちゃん

中ちゃん:/ローラーがアイロンかけし道灼くる/という句を詠んだのですが、
     この句はどうでしょうか??
先生  :/アイロンかけし/が気になりますね。
中ちゃん:この句は<見立ての句>でしょうか??
先生  :そんな感じもありますね。
中ちゃん:/ローラーが踏みならしたる道灼くる/では、どうでしょうか??
先生  :あ、そのほうがいいですね。
中ちゃん:/ローラー/という言葉は俳句に向かないでしょうか??
先生  :確かに使い方が難しい言葉ですね。

では、一句。

   ローラーが踏みならしたる道灼(や)くる

(灼くる=夏の季語)

        今回の土日はまるまるお休みで(こんなことは月一回だけだ)
        こころおきなくパソ通をやっている(^^) 中ちゃん


■30--93/07/24『中ちゃんの俳句ひとくちメモ』/中ちゃん

中ちゃん:俳句は芭蕉や蕪村より以前からあったのでしょう??
先生  :もちろんです。芭蕉より遡ること200年。室町時代からありました。
     当時は俳句とは言わず<俳諧>とか<発句>と言っていましたけどね。
中ちゃん:連歌の冒頭の句から俳句が分れたと聞いていますが…
先生  :そうです。だから<発句>と言ったのですね。<発句>には季節を詠
     み込むルールになっています。俳句に季語があるのも、そういう歴史
     を踏まえているからですね。
中ちゃん:俳句は芭蕉より200年も前からあるのに、芭蕉が有名なのは、なぜ
     ですか??
先生  :一時、俳諧が通俗的な俗悪趣味になってしまったのです。それを立て
     直したのが芭蕉です。そして、そのあとに蕪村が出てきました。ちな
     みに、芭蕉と蕪村は同時代には生きていません。
中ちゃん:芭蕉や蕪村のあとの時代にも俳句が通俗的になったことがあると聞い
     ていますが…
先生  :よく知っていますね。天保の月並み俳句といって、低俗な俳句がはや
     った時期があります。
中ちゃん:それがすたれたのは、いつごろですか??
先生  :明治にはいって、正岡子規が改革の旗を振りました。<俳句>という
     呼び名も子規が言い出したものです。明治26年のことです。
中ちゃん:それからホトトギスの時代になるのですね。
     漱石の<我輩は猫である>が載った…。
先生  :ホトトギスの創刊は明治30年です。子規と漱石は一高の同級生です
     子規の門下に高浜虚子と河東碧梧桐がいました。
中ちゃん:二人は決別したのでしたね。
先生  :そうです。虚子は一時、小説に走り、句作を中絶しました。
     しかし、のちにホトトギスの主宰となり、歴史に残る活躍をしました。
中ちゃん:大正時代は第一次ホトトギス黄金時代といわれていますね。
先生  :ホトトギスの黄金時代は第三次までありました。
中ちゃん:いまは、どうなんですか??
先生  :うーん(^^;。発行部数はかなり多いんですがねぇ。
中ちゃん:先生にも大いに活躍していただいて、第四次黄金時代を築いてもらわ
     なくてはなりませんね。
先生  :うっ(^^;(^^;(^^;。それは中ちゃんたちの仕事でしょう(^^;

                                中ちゃん


■31--93/07/24『中ちゃんの「迷」句観賞』/中ちゃん

今回は趣向を変えて、雑誌『旅』の昭和18年8号の投句欄に
載った句を見てみました。戦時色が濃厚になったころの句です。
雑誌『旅』も戦時色一色でした。

一等  青葉蒼空(あをぞら)兵隊体操かけごゑす

二等  薫風や神杉の船進水す

三等  梅雨暗し溶接青き火を噴きて

入選はいずれも戦時色の句でした。佳作にも戦時色の句が多く採られています。

   船造る音こだましぬ青嵐
   米英を圧す雄叫び五月晴
   炎天や闘魂強く鍬(くわ)入るる

どうですか??あんまり面白い句ではないでしょう??
なぜ面白くないかというと、これらは時事を詠んだ句だからです。
そのときだけは面白いかも知れないが、時間がたつと、つまらなくなってしまう
んです。

雑誌『旅』の同じ号に次のような句も採られていました。

   磐梯の峯に雲凝り蚋(ぶよ)燻(いぶ)す
   木苺を宝石のごと掌(て)にうけぬ
   鯵(あじ)買うて渚づたいや砂が鳴る

どうです??こちらのほうが良いでしょ。良い句が下のほうにしか選ばれなくて、
戦時色の句が入選だなんてやっぱり、そういう時代だったのですね。

雑誌『旅』はこの号をもって廃刊となりました。編集後記の廃刊の弁は次のよう
なものでした。

「『旅』は廃刊になりますが、然し雑誌はなくなるわけではありません。もっと
時局に相応しい新しい雑誌に生まれ変るための廃刊なのです。今度は名実共に東
亜旅行社の機関誌として、大東亜にどっかり腰をすゑた決戦型の新雑誌が生れ出
る筈です」
              コトワッテオキマスガ 戦後生まれの 中ちゃん

P.S. 
 中ちゃんも俳句手帳はいつも携帯していますよん。>弥生さん
 歳時記も常に鞄にはいってます。うーん。カード歳時記はまだないなぁ。(^^)


■32--93/07/25『俳句の結社依存性』/中ちゃん

俳句は碁と違って、なにが最善であるかがはっきりしません。
俳句は世の人々にあまねく絶賛される必要はありません。

極端に言うと、俳句は狭い結社のなかで良いとされるものが良いのだと思います。
つまり、俳句は結社のメンバーどうしのコミュニケーションの道具に過ぎないの
ですね。

誤解を恐れずに言えば、ある結社で良いとされる句が良いのであって、その句が
外の世界でどう評価されようが、それはまた別の問題だと思います。

例えば、中ちゃんの句はこの結社ではあまり人気がありません。それは、中ちゃ
んの句がこの結社ではダメということであって、中ちゃんが反省しなくてはなり
ません。

中ちゃんが外の結社で結構評判が良いとしても(例えばのはなしですが)、中ち
ゃんの句を選ばないこの結社が悪い、などということには全然なりません。

はじめに結社ありき、はじめにコミュニケーションありき、というのが俳句の基
本だと思います。>^_^<
では、性懲りもなく一句。

   神木に空蝉かぢりついてをり
                                中ちゃん


■33--93/07/26『中ちゃんの名句観賞』/中ちゃん

今回もまた現代俳句をご紹介します。
若手のホープ、小澤實氏(36歳)です。中ちゃんの好きな俳人の一人です。
現代俳句と言っても、氏は有季定型です。

   浅蜊の舌別の浅蜊の舌にさはり
   夏芝居堅物(けんもつ)某(なにがし)出てすぐ死
   ゆたんぽのぶりきのなみのあはれかな
   くわゐ煮てくるるというに煮てくれず
   虚子もなし風生もなし涼しさよ

第1句目「浅蜊の舌」は、驚くほど透徹した観察眼です。台所で塩水にひたした
浅蜊に普通に見られる光景ですが、こうして句にされると、不気味なほどのリア
リティーが伝わってきます。

第2句目は、どさ回りの剣劇芝居かなにかを詠んだものでしょうか。堅物なにが
しという悪役のチョイ役かなにかが出演したが、すぐに斬られて死んでしまうの
でしょう。田舎芝居のちょっとした光景を巧みに詠んだものだと思います。堅物
某というのが効いています。

第3句目、湯たんぽのブリキの波を「あはれ」といっています。なんだかよく分
からない句ですが、妙に面白味があります。

第4句目は、とんでもなくスットンキョウな句です。くわいを煮てくれると言っ
たのに、煮てくれなかった、と文句を言っているのです。「くわゐ」という食物
がもっている可笑しみが、句をひきたたせています。「くわゐ」が他の食物であ
ったなら、これほど可笑しい句にはならなかったでしょう。

第5句目、高浜虚子や富安風生といった大俳人が亡くなって、せいせいした、と
いう句でしょうか。でも、小澤氏自身、この2人には大いなる影響を受けている
はずで、「涼しさよ」には愛着の気持ちもはいっていると思われます。

中ちゃんも小澤氏のような俳句を早く作りたいです。でも、非常に難しい。俳句
は花鳥諷詠でないと、作るのがとたんに難しくなります。中ちゃんは当分は花鳥
諷詠で腕をみがこうと考えています。

なお、小澤氏は俳誌「鷹」に所属しています。
                                中ちゃん


■34--93/07/26『中ちゃんの俳句ひとくちメモ』/中ちゃん

中ちゃん:ぼくは/獅子舞が百人渡る橋崩れ/(寺澤一雄)という句が好きなん
     ですが…。
先生  :あまり、いい句ではないですねぇ(~_~)
中ちゃん:ぼくはナンセンスで、可笑しい句だと思いますが…。
先生  :俳句の持つ情感がないですよ、この句には。
中ちゃん:可笑しみは俳句の重要な要素だとも、聞いています。
先生  :それはそうなんですが、可笑しみとともに品格も重要です。
中ちゃん:品格ですか。
先生  :そう。/橋崩れ/と言ってしまっては、品格がそこなわれてしまいま
     す。

※中ちゃんの先生はホトトギス派ですから、句の格調を非常に重んじます。
 「獅子舞」のような句はホトトギス派の人にはぜーったいに採用されないでし
 ょうね。

※でも、「獅子舞」のような現代俳句が、多くの人の支持を受けているのも、ま
 た確かなことです。

※現代俳句は伝統俳句に較べて、作るのが圧倒的に難しい。下手をすると先生の
 言うように、ホントに格調の低い句になってしまいます。

※当QLD結社が伝統俳句の方向へ行くのか、それとも現代俳句の道を模索する
 のか、今後の課題ですね(^^)。まあ、当分はごちゃまぜで行きましょう(^^)。

では、一句。

   大蜘蛛も吾(あ)も驚きてあとぢさる

           看護学校が夏休みになって講義をしなくてもよくなって
           ほっとしている 中ちゃん
           (私語が多いのは看護学校も大学と同じ。私語の多いの
           にはうんざりします)


■35--93/07/28『無季や字余り』/中ちゃん

>あこちゃん

ご指摘の通り、中ちゃんは無季の句や字余りの句を採らない傾向があります。
それは自分でも気づいています。

何故、無季の句が採れないか・・・
ひとつには無季の句は、作るのがすっごーく難しいということがあります。
俳句の世界では季語はいずれも歴史のある、相当に含蓄の深い言葉です。
だから、季語にオンブすれば、けっこう深味のある句が詠めてしまいます。
(それが、季語を安易に利用してしまう弊害ともなるのですが・・)。

季語に相当するような、含蓄の深い言葉を見つけるのは容易なことではありませ
ん。だから、無季の句は、なかなか採れないのです。

  ↑
2つの立場があります。
伝統俳句派=季語がなければ、ぜーったいダメ。だって、俳句は季節を歌う文芸
      なんだから。
現代俳句派=季語はなくてもいいじゃないの。だって、俳句はひとつの詩型であ
      って、季節にこだわるなんて、おかしい。

どちらの立場を取るか、結社によって違います。当結社もいろいろ鍛練するうち
に、どこかに収斂して行くでしょう。

  ↑
「リズム」で数えます。例えば「チューリップ」は5文字ね。「北海道」も5文
字の感覚かな。6文字に数えることもあるでしょう。

たとえば、「つひに来し夏のあこがれ北海道」なら5文字。「つひに来し北海道
の夏原野」なら6文字に数えます。要するに「リズム」なんです。(^^)

                                中ちゃん

P.S.
 この2,3日、中ちゃんはFPOEMの韻文の部屋で「有季定型」のことなど
 について、たいへん造詣の深いかたとお話しています。よかったら、リバース
 モードで覗いてみてね。


■36--93/07/29『中ちゃんの俳句ひとくちメモ』/中ちゃん

中ちゃん:俳句に季語はどうしても必要ですか??
先生  :必要です。俳句は季節を歌う文芸ですから。
中ちゃん:無季の句にもいい句があると思うのですが…。
先生  :それは俳句とはいいません。普通の詩、あるいは川柳ですね。
中ちゃん:どうして俳句に季語が必要なんでしょう??
先生  :それは、俳句が、連歌の発句が独立したものだからです。連歌では発
     句には季節を詠み込む決りになっていましたから。
中ちゃん:でも、最近は季節感が薄れています。例えば季語の『苺』だって『バ
     ナナ』だって、いまは一年中ありますし…。
先生  :季語は約束事なんです。俳句は、同じ約束事のもとで、同好者が楽し
     むというタイプの文芸です。だから、俳句では、句会がとても重要な
     位置を占めています。約束事を放棄してしまっては、句会でコミュニ
     ケーションができなくなってしまいます」

※この「先生」は伝統俳句派のかたですから、無季の句を俳句とは絶対にお認め
 になりません。

※でも、無季の句を許す結社も少なくないという現実があることも知っておいて
 ください。

※ただし、この前も言いましたが、無季の句は、季語という歴史と含蓄をもった
 言葉を使わない分だけ、有季の句より作るのが難しいというのが、中ちゃんの
 実感です。

※「先生」のお話にもあるとおり、結社では「句会」が重要となります。結社に
 より、流儀はさまざまです。極端に言えば、結社の数だけ流儀があるといって
 もよいでしょう。

※さて、当結社はどういう流儀になっていくのでしょうか?楽しみですね。(^^)

                                中ちゃん


■37--93/07/31『中ちゃんの名句観賞』/中ちゃん

今回もまた、存命俳人をご紹介します。
その人は、上田五千石氏(60歳)です。(「ごせんごく」という人を食ったよ
うな俳号です)。氏は伝統俳句のルールをキチッと継承しながら、なかなか気に
なる俳句を詠むかたです。

   白きもの犬となりくる盆の道
   開けたてのならぬ北窓ひらきけり
   みづうみに雨がふるなり洗鯉

氏の忠告を以下に掲載します。

  「俳句初心の人にお伝えしたい。
  句会にお出なさい。
  躊躇しているのは無駄。
  自作を選んでもらうことより、人の句を沢山読まされ、且つその中から、自
  分なりの選を決することが勉強になる。
  人の句を読み、その人間の理解を深めることも大切。そこに座の文学、連衆
  の文芸としての最も大事な俳句におけるヒューマン・リレイションズが得ら
  れるからだ」
                 (俳句塾 上田五千石著 邑書林刊より)

                                中ちゃん


■38--93/08/03『中ちゃんの俳句ひとくちメモ』/中ちゃん

中ちゃんは20代から俳句にひかれていましたが、本格的に習うようになったの
は1988年、中ちゃんが38歳のときからです。

中ちゃんの俳句の先生(毎度おなじみ、77歳、ホトトギス同人、当時は72歳
だった)は、中ちゃんが俳句を始めて半年くらいしたころ、次のように言いまし
た。

「さあ、中ちゃんもだんだん難しい俳句を作るようになってきたなぁ。そのうち
もっと難解な言葉を使うようになるぞぉ」

結果から言うと、中ちゃんは難解な言葉を使うようにはなりませんでした。もち
ろん、先生の「予言」に反発したからです。(そう、やすやすと先生の予言どお
りになってたまるか、というわけです)

でも、俳句の上達の過程で難しい言葉を使いたくなる一時期があるようですね。
(中ちゃんは、そういう時期を経過してないから、いつまでもへたくそなのか?
?(^^;)。

いずれにせよ、当結社は出来てからまだ2ヵ月です。とにかく、ゆっくりやって
いきましょうねー。

   「急がずにおやりなさい」  虚子
   「あぐむべからず」     芭蕉
                                中ちゃん


■39--93/08/15『中ちゃんの俳句ひとくちメモ』/中ちゃん

中ちゃん:兼題にはときどき<お水取り>とか<風の盆>とか、見たことのない
     行事がでてきます。見たことのないことを俳句に詠むのは無理がある
     んじゃありませんか??
先生  :TVでも見たことがありませんか??
中ちゃん:TVでなら見たことがあります。でも、TV報道をもとに句作するの
     では<写生>にならないのでは、ありませんか??
先生  :そんなこと、ありません。TV報道で句作するのは立派な<写生>で
     すよ。私はTVを発明した人に感謝したいと思っています。私が俳句
     を始めたころはTVなんて、ありませんでしたから・・。いまはTV
     のおかげで、わざわざ旅行に行かなくても済みます。
中ちゃん:なんとなく、納得できません。TVで<写生>だなんて…。
先生  :俳句でいう<写生>とは<リポート>とは違うんです。誤解を恐れず
     に言えば、俳句は<フィクション>なんです。
中ちゃん:俳句は<フィクション>ですか。だとすると、<写生>ではなくなっ
     しまうような気がしますが…。
先生  :<写生>でありながら、<フィクション>なのです。それが<発見>
     ということです。
中ちゃん:うーん。わからないでもありませんが…。
先生  :俳句がたんなる<リポート>なら、俳句の創造性はなくなってしまい
     ます。<フィクション>だからこそ、俳句は面白いのです。

                                中ちゃん


■40--93/08/28『中ちゃんの俳句ひとくちメモ』/中ちゃん

中ちゃん:俳句では切れ字が大切だそうですね。
先生  :そうです。切れ字によって句がひきしまります。切れ字は、短歌など
     他の詩型にはない概念です。
中ちゃん:<や・かな・けり>がよく知られていますね。
先生  :ほかにも<なり・たり・ぞ>がよく使われます。否定の<ず>や、形
     容詞の終止型(たとえば<明るし>の<し>)も切れ字です。
中ちゃん:<明るし>の<し>も切れ字なんですか。
先生  :そうです。私の句《湾めぐる12ノットの艇涼し》もちゃんと切れ字
     があるんですよ。
中ちゃん:切れ字は必ずないといけないのですか??
先生  :あったほうがよいですが、名詞止めにして切れ字の代りにする方法も
     あります。
中ちゃん:どんなふうに、ですか??
先生  :《夏つばめ飛んで浜より低き路地》てな具合ですね。
                                中ちゃん


■41--93/08/28『中ちゃんの俳句ひとくちメモ』/中ちゃん

中ちゃん:私の俳句の勉強のしかたについて、アドバイスして下さい。
先生  :中ちゃんは、そこそこに句を詠んでいるから、いまのままで、だいた
     い良いと思います。でも、もう少し句会や吟行に出席したほうがいい
     ですね。
中ちゃん:(^^;(^^;(^^; 実は句会は、二週間に一回、パソコン通信でやってい
     ます。
先生  :パソコン通信で句会??それは、どういうものなんですか??
中ちゃん:カクカクシカジカ (パソ通句会について説明)
先生  :ほーーう。世の中、便利になったものですなぁ。その句会、今後もぜ
     ひ続けてください。俳句は句作するだけでなく、それを選句してもら
     ったり、自ら選句することによって上達しますから。
中ちゃん:先生も、パソ通句会へいかがですか??
先生  :(^^ゞ 私は古い人間で機械には弱いから…。で、パソ通では吟行もで
     きるんですか??
中ちゃん:さすがに吟行はできません。
先生  :なら、吟行会に出席してくださいね。
中ちゃん:はい (^^;

※吟行=ぎんこう。遠出をして、その土地の自然や文化に接して句を詠むこと。
    普段、見慣れているものでも、新鮮に見ることができる。

                                中ちゃん


■42--93/08/29『中ちゃんの名句観賞』/中ちゃん

今回は、現代俳句の西川章夫氏をご紹介します。中ちゃんの好きな俳人の一人で
す。氏は宇部興産に勤める52歳のサラリーマンで、転勤族です。氏のみずみず
しい句をご観賞ください。

   計算室へ入る椿のやうに濡れ

   雪国の犬キャラメルを食べにけり

   トマトもぐ匂ひへ吾子の来てゐたり

   南天の花や家鴨の嘴(はし)に孔(あな)

   傷ふかき八頭あり篭の外

             牧羊社刊 句集「葉書」より

「計算室」はまだパソコンがなかった時代の句です。当時の「計算室」というの
は、どこか敷居が高く、独特の雰囲気がありましたよね。

「キャラメル」の句は、犬がキャラメルを食べているところを見たことのある人
なら膝をたたくはずです。この句は氏が北海道に転勤していたときの句でしょう。

他の句も的確な写生で、好感が持てます。氏は京大俳句会で俳句を覚えたそうで
すから、若いわりにはもう30年も俳句に親しんでいるわけです。中ちゃんも、
あと5年くらいの間に、氏のような句が作れるようになりたいなぁ。

                                中ちゃん


■43--93/09/02『中ちゃんの名句観賞』/中ちゃん

今回は、若手の女流俳人、大木あまり氏をご紹介します。氏はまだ40そこそこ
ですが、とてつもなく変わった句を、作られます。
ここにご紹介する句は、どちらかというと、「おとなしい」ほうです。

   海蛇の口の小さし星祭

   麦秋や浮き灯台の浮きごごち

   幸不幸ちゃうじり合ひし蛍かな

   枇杷をむく母にまだある指力

   アルバムに優曇華(うどんげ)の丈揃ひけり

中ちゃんは、大木氏には、もっとしっちゃかめっちゃかな句を作ってほしいと、
思って居ます。
                                中ちゃん


■44--93/09/11『「傾向」の出現』/中ちゃん

あこちゃんのご指摘にもあったように、当句会で選ばれる句に一定の「傾向」が
出てきたようですね。これは、すなわち当結社の「色あい」が出てきたのだろう
と、中ちゃんは解釈しています。

最初はばらばらだった好みが、だんだん一カ所に収斂していく。それが、結社の
「色あい」(悪く言えば、「癖」)を形成します。

どんな結社も、その結社独特の「色あい」を持っています。そういう意味では、
当結社も、(「色あい」が出てきた分だけ)、成熟してきたと考えられます。

ただし、ひとつの「色あい」に染まってしまうのは面白くありません。だから、
こひつじさんのように、外との関係を持つのは大変よいことだと思います。
あこちゃんが言われていた「前の人の選句に影響されてしまう」ということは、
それほどないと思います。各自の選句が似てきたのは、「好み」が似てきた結果
だろうと思われます。

トコロデ
新聞の投句欄では、実は選者の先生の弟子が入選することが多いのです。それは
別にヒイキということではなくて、弟子と選者とが「好み」を共有しているから
なのです。そんな中で、選者の結社とは縁もゆかりもないこひつじさんが入選し
たということは、すばらしい快挙でした。
まあ、もうしばらくは当結社の「好み」(「癖」)をみんなで確立して、その次
に、こひつじさんのように外に羽ばたいて行きましょう。

それにしても、みなさんの進歩は驚くべきものです。こんなに進歩の早い句会を
中ちゃんは見たことがありません。ネットワーカーは元来、俳句がうまいのだろ
うか??
とくに女性がうまいなぁ。男性諸君、負けないように頑張りましょう。

                                中ちゃん


■45--93/10/05『中ちゃんの名句観賞』/中ちゃん

久々の「中ちゃんの名句観賞」です。
今回は1989年の角川俳句賞受賞者、岩田由美さんです。受賞当時、岩田さん
はまだ28歳で、句にも初々しさがにじみ出ています。若い女性の清楚な感覚を
とっくりとお味わいください。

   葱だけを見てとんとんと葱刻む

   かりんの実もぎたる太き腕が好き

   遊船や小さきバナナのイヤリング

   つかまへし蠅の背中の固きこと

   怪我の子にしきりに雪の落つるかな

      (月刊「俳句」89年6月号 角川書店より)

岩田さんは東大卒業後、高校の英語の先生になり、翻訳にも携わっています。
子供さんは少なくとも一人はいるはずです。

「葱だけを」・・鋭い観察力ですね。女性ならではの句だと思います。

「かりんの実」・・「太き腕」はむろん男性の腕なのでしょうね。

「遊船や」・・この句の季語は「遊船」(夏)です。

「つかまへし」・・虫って以外に固いですよね。

「怪我の子に」・・怪我の子とは面白いモチーフですね。

                         今日は休日の 中ちゃん
                        (でも、やらなきゃならない仕事があるんだよなー)
P.S.
 FIN1でRT句会が行われているのですかぁ。
 結構いろんなところで句会が持たれているのですね。
 情報ありがとうございました。>井上さん


■46--93/10/11『中ちゃんの名句観賞』/中ちゃん

今回は名古屋の俳人、塩田たつを氏をご紹介します。
氏は俳誌『牡丹』の同人で、同誌の雑用係を引き受けておられます。推察ですが
かなりご高齢の方だと思います。

   行く雲は行かしめて牧秋高し

   秋ざくらとは風の花彩(いろ)振って

   倶(とも)に月待ちゐて旅の話など

        (『牡丹』90年11月号より)

いずれも非常に美しい句です。「行く雲は行かしめて」なんて、10年や20年
の句歴では詠めない句だと思います。
                                中ちゃん


■47--93/10/28『俳句雑感』/中ちゃん

中ちゃんが俳句を始めたのは5年前です。
そのころ中ちゃんは、名古屋の精神障害者社会復帰施設の施設長をやっておりま
して、施設のメニューに句会を取り入れたのでした。

中ちゃんはもともと凝り性ですから、どうせ句会の指導者をお呼びするなら、一
流の人をと思って、名古屋の有名俳人にお願いしてみました。そしたら、なんと
二つ返事で引き受けてくだっさたのがホトトギス同人、浅野右橘氏(77歳)で
した。それ以来、中ちゃんは浅野氏のもとで俳句を勉強してきました。
(ちっとも上達しませんが…(^^;)。

ホトトギス派は伝統的な俳句の最右翼で、完全に「有季定型」です。
ホトトギス派は、無季の俳句を認めません。俳句とは「季節を歌うもの」という
哲学をもっているようです。
だから、無季の句は俳句ではなく川柳である、とホトトギス派は言いきります。
(中ちゃんは、そこまで限定しなくても…と思っていますが)。

もっともホトトギス派が川柳を下に見ているわけではないのです。そうではなく
て、俳句と川柳は違う文芸だと見ているのです。(中ちゃんも、俳句と川柳は違
う文芸だと思います)。

ホトトギス派はあくまでも「花鳥諷詠」を旨とします。だから、時事の句や見立
ての句を極端に嫌います。川柳は時事も見立ても平気で詠みますから、ホトトギ
ス派とは相容れないと思います。
また、ホトトギス派は「写生」を非常に重んじます。「写生」があまりお好きで
ないと言われる破れ鐘さんとは、ずいぶん立場が異なります。

では、中ちゃんの立場はと言いますと、ホトトギス派はちょっと形式的過ぎるの
ではないか、というのが正直なところです。
中ちゃんは、「写生」は好きですが、「花鳥諷詠」ばかりではもの足りなくなり
ます。もう少し、ドロくさいものを詠んでもいいのではないか、と思います。
(はっきり言って、ホトトギス派の俳句には似たようなのが多過ぎる)。

それから、「型」についてですが、俳句は定型詩である以上、「型」は必要だと
思います。ここで「型」というのは、575の制約とか文語体を用いるというよ
うな点です。「型」は無視できません。「型」を無視するなら、自由詩でやるべ
きだと思います。「型」は定型詩の命だと中ちゃんは思っています。

結論として、ホトトギス派の制約は一方的過ぎるが、かと言って、ホトトギス派
の言っていることは明快で、うなづけるところも多いといったところでしょうか。
まあ、いずれにせよ中ちゃんは当QLD結社が一番好きです。当結社は自由で、
みなが詠みたいように詠んでいる。こんな句会、よそにはありませんよ。(^^)

あぁ、思わず長広舌をふるってしまいました。
みなさん、この書き込みは軽く読み流して、自由に句作してくださいね。

今日は、娘の風邪が感染ったのか、鼻と喉がむずむずしています。
あさっての、 FIGO のオフのときに熱でも出なければいいのですが・・・。

                                中ちゃん


■48--93/11/03『俳句の先生のこと』/中ちゃん

中ちゃんの俳句の先生、浅野右橘氏は今年77歳です。
俳句を始めたのは、名古屋高商(現名古屋大学経済学部)の学生時代です。

先生は、そのころ平湯に旅することがあって、次の句を詠みました。

   花芒道は平湯へくだり坂

この句を先生のそのまた先生のところへ持って行ったところ、「そりゃぁ君、く
だり坂でなくて、ひたくだりだろう」と言われ、ガーンとなったそうです。

   花芒道は平湯へひたくだり

確かにこちらのほうが句として良いですね。先生も「ひたくだり」なんていう言
葉がどうしてすぐに出てくるんだろうと、驚いたそうです。

愛知県の知多半島に野間という海岸があって、そこには灯台があります。
学生の先生は、ホトトギス誌に次の句を投句しました。

   冬涛に野間の灯台傾けり

で、先生は投句しながらも、「ピサの斜塔じゃあるまいし、灯台が傾いてしまっ
ては、いかんわなぁ」と内心考えていたそうです。ところが、ホトトギスに掲載
されたときには、次のように添削が施されていたのです。

   冬涛に野間の灯台傾くか

先生はここでもまた仰天し、この2つの添削によって、俳句を一生やっていこう
と考えたのだそうです。

先生は大学の俳句部に所属していました。昔は大学に俳句部なんていうクラブが
あったんですねぇ。若者が普通に俳句をやっていた時代です。
今、俳句部がある大学って、どれくらいあるのでしょう。(あっても、数えるほ
どでしょうね)。
                今日はなんにも予定がない休日で
                のんびりとパソ通などやっている 中ちゃん


■49--94/01/16『つれづれMES』/中ちゃん

あこちゃんの句が朝日新聞に掲載されてから、一週間になりますね。今日も朝日
の俳句欄を見ましたが、さすがに今回は載っていなかった。(^^;

朝日の俳句欄は選者が4人いますが、中ちゃんは選者を見なくても、選句を見た
だけで稲畑汀子と金子兜太は分かってしまいます。

稲畑汀子は『ホトトギス』の主宰で、中ちゃんが所属する『牡丹』はホトトギス
系の結社ですから、それで分かってしまうのでしょう。金子兜太は、これは誰が
見てもわかるほど独特な選句ですね。かなり大胆な句をどんどん採ってしまいま
す。

朝日では俳句欄と短歌欄が並んでいますが、☆印(複数の選者が同一作品を選ぶ
こと)が短歌に多く、俳句には少ないことに気がつかれると思います。このこと
からも、俳句のほうが短歌より投稿数が多いことが分かります。

それと、選者は自分の選に個性を出そうと努力していることが挙げられます。し
いて☆印が少なくなるようにしているわけですね。また、10句選だから☆印は
少なくなくてすむが、これが20句選になったとすると、突然☆印が増えるのだ
と聞いたことがあります。

さて、今日から当結社の句会が始まりますが、ひばりさんが FIGO の福井オフに
出かけておられるので、「句会要領」のUPは明日以降になると思います。

ではまた。
                        家でごろごろの 中ちゃん


■50--94/01/16『Yumiさんへ』/中ちゃん

>私は 絵葉書俳句と写生の区別をどう分けるのか が 分かりません

うーん。難しい問題ですね。
「絵葉書俳句」は、ありふれた俳句の蔑称ですが、「写生句」は尊称です。

「写生」とは事実に託して己れの心を詠むこと・・・なんて、昔から言われてい
ますが、これについては、いろいろ論じられていまして、とてもパソ通の限られ
た紙面では言い尽くせないほど議論されてきました。

そうですねぇ。写真を例に出すと分かりやすいでしょうか。写真はその本性は写
生ですが、絵葉書的な写真と、そうでない写真がありますよね。絵葉書的な写真
は価値が少ないですが、同じ風景写真であっても、絵葉書より価値の高い写真が
あるでしょう?? 俳句も同じことです。

(俳句は写真に似ていると、もと大学写真部の中ちゃんはかねてから思っている
のですが、写真を例にとった俳論は見たことがありません。機会があったら「俳
句・写真比較論」でもどこかの俳誌に書きましょう)

                                中ちゃん
P.S.
 中ちゃんのパソコン環境は、おもに98です。他にMacSE30やMacIIFXや
 AT互換機も使えます。ただし、自宅の98は中古品で8色しか表示できない
 ので、俳画はもっぱら職場の98で観賞しています。KAMI16は当然、職場
 の98で稼働させています。


■51--94/01/19『RE:「俳句は17文字のドラマ」』/中ちゃん

「俳句は17文字のドラマだ」(弥生)とは、言いえて妙ですね。まったく、そ
のとおりだと思います。

中ちゃんは、前に「俳句はフィクションだ」だと書き込みました。(間違ってい
ないです(^^)>弥生さん)。これは、中ちゃんが言い出したことではなく、俳句
の先生から教わったことです。

その先生はギンギンのホトトギス派です。ということは、写生を非常に重んじる
派ということです。しかもホトトギス派は、「客観写生」という言葉をよく口に
します。それほど写生、写生という派の大先生が、「俳句はフィクションだ」と
言うわけです。

一見、矛盾がありそうですが、中ちゃんは「客観写生」と「フィクション」は矛
盾しないと考えています。「客観写生」の中に己れを表現しようとすれば、そこ
にはすでに「フィクション」の要素が含まれてきてしまうからです。

なんだか、理屈っぽくなってしまいました。要するに、「写生」であっても、そ
れが良い句ならば、おのずと「心象風景」になっている・・・ということです。

逆に、その句が「心象風景」であっても、良い句なら「写生」に見えてしまうと
言ってもよいかもしれません。マダ、リクツッポイ(^^;
では、また。
                                中ちゃん


■52--94/02/17『切るべきか切らざるべきか』/中ちゃん

前に『晨(あした)』という俳誌に次の句を投句して掲載されました。

   炎昼や古き市場の暗き奥 中ちゃん

しかも、別のページで主宰から褒められました。ただし、上の句は次のように添
削されていました。

   炎昼の古き市場の暗き奥

「や」が「の」に換えられたわけですね。主宰は切らないほうが良いと考えたよ
うです。つまり、この句の場合、上5とそれ以下の部分の意味の繋がりが強いと
いうことなのでしょうね。

つまり、この句は「一句切れ」の句なのですね、元来は・・。上5を「や」で切
ってしまうと「二句切れ」の句になってしまいます。

たとえば、次の一句切れの拙句・・・

   恋猫のあちら唸れば又こちも

は、恋猫が唸っているわけですから、

   恋猫やあちら唸れば又こちも

と上5で切ってしまうと、おかしいわけです。
また逆に、二句切れの拙句・・

   湯豆腐や未来を熱く語る友

は、上5の「湯豆腐」と、それ以下の部分に意味の直接的な繋がりがありません
から、「や」で切ったほうが良いわけで・・・

   湯豆腐の未来を熱く語る友

とすると、豆腐屋さんが「湯豆腐の未来」を語っていることになり(笑)、妙な
ことになってしまいます。

切るべきか切らざるべきかは、以上のような点を考慮して、中ちゃんは決めてい
ます。でも、迷うこともしばしばですが・・・。

                   今日の午後はフリータイムの中ちゃん


■53--94/02/19『中ちゃんの俳句ひとくちメモ』/中ちゃん

これまた、ひさびさの「ひとくちメモ」です。

手元に昭和18年の雑誌『旅』8月号があります。まさに戦時色一色です。ちょ
っと見出しを紹介しますと・・・。

  ◆ 今日の海上輸送戦

  ◆ 木船進軍(海務院検閲済)

  ◆ ちかごろのモンペ

  ◆ 大自然と青少年の錬成

  ◆ 夏は歩け! 盛夏の東都行軍路

  ◆ 今夏の旅客輸送統制 決戦だ! 協力しよう

などなど、キリがないからこの辺でやめておきます。

同雑誌に投句欄があります。前にも少し紹介しましたが、今回は入選句とその評
を紹介します。

《一等》 青葉蒼空兵隊体操かけごゑす

 [評] この句には大きな句読点が2つ力強く打たれてゐる。(中略)
     青葉の世界を讃へ、蒼空の清さを謳歌してゐるのである。さうした清
     澄な大気の中に張り切ってゐる兵隊さんの体操のかけ声が山も砕けよ
     と、高く高く大きく広がってゆく、戦へる御国の勇ましい心が謳はれ
     てゐる。

《二等》 薫風や神杉の船進水す

 [評] あらゆる種類の巨木が供出されてゐる。そこにも大和魂の尊さが窺へ
     る。これは又崇厳な神杉のそれである。薫るのは風のみではない。

《三等》 梅雨暗し溶接青き火を噴きて

 [評] 砲弾を、飛行機を、軍艦を一つでも一機でも一隻でも多く前線へ送る
     可き工場には梅雨の暗さも昼夜の別もない。増産への努力が燃えてい
     るばかりだ。

うーん。昭和18年には、投句欄も戦争一色だったのですね。

で、中ちゃんがこの「ひとくちメモ」で何が言いたいかというと、反戦について
言いたいのではありません。そうではなくて、「時事の句は長持ちしない」とい
うことを言いたいのです。

上に示した入選句は、当時としては良かったかもしれませんが、いまは単に「歴
史資料」としての価値しか持っていません。「俳句で時事を詠むものではない」
という教えは、やはり正しいとつくづく思う次第です。

                                中ちゃん


■54--94/03/08『中ちゃんの名句観賞』/中ちゃん

今日はどういう風の吹き回しか、尾崎放哉(ほうさい)の無季自由律の句を観賞
してみます。放哉は明治18年生まれですから、以前にご紹介した富安風生と同
い年ですね。虚子より11歳年下です。

   氷がとける音がして病人と居る

   淋しいぞ一人五本のゆびを開いてみる

   大雪となる兎の赤い眼玉である

   なんにもない机の抽斗(ひきだし)である

   せきをしてもひとり

放哉は東大を出てエリートサラリーマンになりましたが、アル中のためクビにな
って、各地の寺に身を寄せていたそうです。彼の句が注目されたのは大正4年こ
ろからで、大正15年に死去するまで、注目句を発表していました。

   すばらしい乳房だ蚊が居る

   爪切ったゆびが十本ある

   入れものがない両手で受ける

   墓のうらに廻る

   渚(なぎさ)白い足出し

こうして並べてみると、70年前の句とは思えないほどモダンですね。そう、現
代のCMのコピーに似ています。中にはほんとに今のコピーとして使えそうなも
のもありますね。一種の天才なのでしょう。

でも、このような句を現代の俳壇に出したらどうなるか。たぶん「なんだ、放哉
のマネか」で片付けられてしまうでしょう。「歌は世につれ」といいますが、放
哉の句も70年前の世だったから広く受け入れられたのでしょうね。

                   句会の句が、まだ一句もできていない
                   中ちゃん アセルナァ


■55--94/03/15『中ちゃんの名句観賞』/中ちゃん

坪内稔典(としのり)氏の句は、すでに半年以上前に、この「名句観賞」で採り
上げましたが、このさい甘納豆関係の句を全部、観賞してみましょう。

   一月の甘納豆はやせてます

   二月には甘納豆と坂下る

   三月の甘納豆のうふふふふ

   四月には死んだまねする甘納豆

   五月来て困ってしまう甘納豆

   甘納豆六月ごろにはごろついて

   腰を病む甘納豆も七月も

   八月の嘘と親しむ甘納豆

   ほろほろと生きる九月の甘納豆

   十月の男女はみんな甘納豆

   河馬(かば)を呼ぶ十一月の甘納豆

   十二月どうするどうする甘納豆

やっぱり三月が秀逸ですね。坪内氏が自句について語った文章は、中学二年の教
科書に載っています。洒脱で素敵な文章です。

坪内氏の俳句には河馬(かば)をモチーフにした好句がたくさんあるのですが、
それについては、またいずれ。
                                中ちゃん


■56--94/04/10『俳句はフィクション』/中ちゃん

昨日か一昨日か、「俳句は創作」と書きましたが、中ちゃんの先生の正確な言葉
は「俳句はフィクションである」でした。

中ちゃんの好きな句に

   浮巣見て事足りぬれば漕ぎかへる 虚子

がありますが、これはたぶんフィクションだと思います。
虚子は浮巣を見たでしょう。また舟にも乗ったでしょう。でも、浮巣を見ただけ
で「事足りて」、「漕ぎかえった」かどうかは、たいへん疑問です。もう少し舟
遊びを楽しんだのではないでしょうか。

ところが、この句は「事足りぬれば漕ぎかへる」ところが良いのであって、舟に
乗っていたら浮巣があった、だけでは面白くありません。やっぱり、この句は虚
子のフィクションだと思います。
                                中ちゃん


■57--94/08/12『中ちゃんの俳句ひとくちメモ』/中ちゃん

中ちゃん:真夏の句会に、真冬の句を出句してもいいのですか??
先生  :いっこうに、かまいません。
中ちゃん:「雪」の句や「北風」の句を出しても、いいのですか??
先生  :いいですよ。でも、季節の同時性や、リアリティーからすると、季節
     外れの句は、実感として参加者の共感を呼びにくいでしょうね。
中ちゃん:ルール違反ではないのですね。
先生  :違反ではありません。ただ、選句されにくいということはあるでしょ
     う。
中ちゃん:じゃぁ、こんどやってみよう。
                                中ちゃん


■58--94/08/18『中ちゃんの俳句ひとくちメモ』/中ちゃん

中ちゃん:ホトトギスの全盛時代はいつごろですか??
先生  :一時小説のほうに行っていた虚子が、大正2年に俳壇に復帰してから
     昭和6年までのあいだでしょうね。
中ちゃん:昭和6年には何があったのですか?
先生  :水原秋桜子が《自然の真と文芸上の真》という論文を発表して、ホト
     トギスから離れて行ったときです。
中ちゃん:どうして離れたのですか?
先生  :高野素十らの、あまりにそっけない客観写生に不満を感じたのでしょ
     う。
中ちゃん:そのとき先生はどうされましたか?
先生  :秋桜子のほうへ行くか、ホトトギスにとどまるか、ずいぶん悩みまし
     た。でも、ホトトギスにとどまることに決めたのです。
中ちゃん:それからもう60年以上もホトトギスにいらっしゃるのですね。
先生  :あっというまの出来事ですよ。

                                中ちゃん


■59--95/09/19『俳句の 座 および俳句の芸術性について』/中ちゃん

いやぁ、いきなり難しい題名で失礼。今日は(たぶん明日も)忙しくって忙しく
って、もう怒れてしまって、難しい題名で攻めてみました。(^^;

中ちゃんは疲れると、難しいこと(例えばハイデッガーがどうたらこうたら)を
言いたくなるんですよぉ。元来、こ難しいこと大好き人間なのでしょう。(^^;;

中ちゃんは、俳句の「座」というものを、例えばカラオケの「座」と同じ事だと
考えています。カラオケは、うまい人もいるし下手な人もいます。でも、そこに
「座」が成立していれば、対等に拍手を送りあえるわけです。

歌がうまいかどうかは二の次です。まず「座」があって、そこにカラオケという
コミュニケーション手段があると、「座」は盛り上がります。コンテストのよう
に、うまい下手を言い出すと、「座」は崩壊してしまいます。

そもそも、カラオケでそんなにうまい人っているでしょうか??うまい人でも、
せいぜいNHKののど自慢で鐘を5つ鳴らせる程度でしょう。NHKで鐘を5つ
鳴らせた人が、即、歌のプロになれると思われますか??

俳句も同じだと思います。われわれ素人は、NHKの鐘5つを目指せば良いので
あって、プロをめざす必要はまったくありません。だって、俳句は仕事ではなく
趣味なんですもの。

以前に桑原氏の「俳句第二芸術論」を、中ちゃんは批判しました。氏の論は、そ
もそも、俳句の善し悪しが解っていない論です。桑原氏はカラオケレベルの俳句
の善し悪しさえ解らない人なんです。

そんな人が「芸術」を語ることさえ、実は笑止なのですが、逆に俳句を芸術だと
言いたいだろう派も、ナンセンスだと中ちゃんは思います。俳句は芸術であろう
となかろうと、どちらでもよいことです。

重要なことは、俳句がカラオケのように「座」の中で営まれるということです。

カラオケのほかに例を挙げるとすれば、囲碁や将棋ですね。囲碁や将棋は、プロ
とアマで決定的に実力が違います。でも、アマはアマで、囲碁や将棋を楽しむ権
利があります。たとえ縁台将棋レベルの、きわめて下手な勝負であってもです。

囲碁や将棋のプロは、こうした下手な囲碁・将棋人口によって支えられています。
多数のアマがいなければ、プロは存在価値がないのです。

俳句も同じです。俳句のプロは、ごく少数の才能に恵まれた人です。俳句には努
力よりも才能が重要ということは、あこちゃんが引用された草間時彦さんの言わ
れるとおりだと思います。

しかし、たとえ才能に恵まれていなくても、当然、誰にでも俳句を作る権利があ
ります。それは縁台将棋レベルかも知れません。でも、それはそれで、大変よい
ことだと中ちゃんは思います。

幸い、当QLD結社はレベルが高く、しばしばプロのような俳句が出てきます。
それはそれに越したことはありません。しかも、ここでは「座」が成り立ってい
ます。パソ通で、ここまで生句会の「座」に迫れるとは、当初は思っていません
でした。

今後も精進して、この「座」を盛り立てて行きましょう。中ちゃんも、下手なり
にますます精進するつもりです。

ROMの方も、臆せず当QLD結社に参加してくださいね。 (^^)/オイデオイデ
えと、難しいことを言うつもりが、大して難しくなかったかなぁ。(^^;

                  疲れる果ててもう寝るぞ の 中ちゃん
P.S.1
 琴音さん。肩もみもみ楽しみにしています。(^^;
 俳句入門書は、一冊あれば十分ですよ。あとは実作あるのみ。
P.S.2
 あこちゃん。お子さんは、治りましたかぁ。RESがないので、心配です。


■60--95/09/23『初心者の陥りやすい罠』/中ちゃん

中ちゃんは俳句を始めて、もうじき8年。8年というとベテランのように聞こえ
るかもしれませんが、「牡丹」には句歴40年50年という人がごろごろいます
から、中ちゃんなんか、まだペーペーなんです。

それでも、一番始めの初心のころよりは少しマシになっていると思います。そこ
で、自分の超初心のころを思い出して、初心者が陥りやすい表現上の問題を2点
ほど指摘してみたいと思います。

(1)「も」を使いたがる。

「も」は曖昧な助詞です。曖昧だから、ついつい使いたくなります。例え
ば...

   実り田の土も乾いてをりにけり 中ちゃん
         ~~
でも、やっぱり「は」、「が」、「の」を使用して、はっきりと対象を限定すべ
きでしょう。そこで中ちゃんは...

   実り田の土の乾いてをりにけり

としたわけです。

(2)助詞を省きたがる。

一度に沢山のことを言いたいためか、助詞を省いて言葉を詰め込もうとします。

   まくわ瓜食ひし縁側猫昼寝 中ちゃん

これでも意味は判りますが、助詞がなさすぎて、詩として美しくありません。ま
くわ瓜「を」食べている縁側「で」猫「が」昼寝をしている...ということの
助詞が全部省かれています。助詞をすべて入れる必要はありませんが、省き過ぎ
も問題です。

   縁側に猫が寝てをりまくわ瓜

大した句ではありませんが、元句よりは詩らしくなったと思います。
もっとも、ひとつのテクニックとして、わざと助詞を省いて緊張感を持たせる手
法もあるのですが...。

今日は偉そうなことを言わせていただきました。m(__)m

           俳句を始めて1年で進歩が止まってしまった 中ちゃん


■61--95/10/04『中ちゃんの俳句ひとくちメモ』/中ちゃん

中ちゃん:先生の俳句は、なぜ花鳥風月ばかりなんですか?
先生  :美しいものが好きなんですよ。
中ちゃん:でも、美しくないものにもインパクトはあると思うのですが…。
先生  :そのとおりです。
中ちゃん:では、なぜ先生は美しくないものを句に詠まれないのですか?
先生  :実生活は汚いもので充ち充ちています。そうでしょう?
中ちゃん:そうです。実生活は極めて汚く、うっとうしいものです。
先生  :そこなんですよ。中ちゃん。
中ちゃん:え??
先生  :実生活が汚く厳しいからこそ、俳句の世界では美しくありたいんです
     よ。
中ちゃん:うーん。(^^;
先生  :虚子は戦後、マスコミから何度も「俳句は戦争でどう変わったか」と
     問われました。
中ちゃん:はい。
先生  :虚子の回答は「(戦争で)何の影響も受けなかった」です。
中ちゃん:うーん。
先生  :ははは。戦後っ子の中ちゃんには、解らないかもね。
                                中ちゃん


■62--95/10/07『中ちゃんの俳句ひとくちメモ』/中ちゃん

先生  :虚子が主宰する句会で、虚子が名乗りなしのことがあったんです。
中ちゃん:ほう。
先生  :そしたら同席していた富安風生がね。「お気持ちは?」と尋ねたんで
     す。こんなことは風生だから言えることですけどね。
中ちゃん:虚子はどう答えたんですか?
先生  :「不愉快です」って。
中ちゃん:大虚子にして、名乗りなしだと不愉快なんだぁ。(^^)
先生  :でも、あんまり名乗りに固執することはないと思う。俳誌の選でも、
     順位に固執すると、「なぜ、あの人より私のほうが下なの?」と文句
     を言う人がいる。
中ちゃん:主宰が違えば、順位も違ってきますよね。
先生  :そうなんです。でも、それが解らない人がいるので、選には余計な神
     経を使ってしまいます。
中ちゃん:ご苦労様です。
先生  :順位が下だと、ひがんで辞めてしまう人がいるんですよ。
中ちゃん:なにもそこまで執念を燃やさなくても・・・。
先生  :中ちゃんみたいに、「いい加減」に受け止めてくれると助かります。
中ちゃん:あはは。僕だって順位は上のほうが良いですけどね。

                                中ちゃん


■63--95/10/08『中ちゃんの俳句ひとくちメモ』/中ちゃん

中ちゃん:よく「客観写生」と言いますが、どういうこどですか?
先生  :虚子が言った、俳句を作るときの基本姿勢ですね。
中ちゃん:どういう姿勢ですか?
先生  :事物にそくして俳句を詠んで、主観をまじえないということです。
中ちゃん:それだと、事物のただの説明になりませんか?
先生  :説明になってはいけません。「客観写生」でありながら、詠み手の心
     情が伝わってくる俳句でなくてはなりません。
中ちゃん:難しいですね。
先生  :ええ、なかなか難しいですよ。
中ちゃん:何か例を...。
先生  :私の若い頃の俳句ですが「花芒道は平湯へひたくだり」なんてのも、
     写生です。
中ちゃん:ほう。いい句ですね。主観的なことは何も言っていないのに、いい句
     です。
先生  :(*^_^*)
中ちゃん:虚子の有名な「遠山に日の当たりたる枯野かな」も、主観が前面に出
     ていませんね。
先生  :そうでしょう?主観は言わないほうが、いい句になります。
中ちゃん:まったくですね。

 註)この「先生」はホトトギス派の方ですから、上のような主張になります。
   しかし、俳句の世界はホトトギス派だけではないことも、一応お断りして
   おきます。
                   あぁ、今日は奥さんも子供も外出して
                   1日中、独りぼっちだった 中ちゃん


■64--95/10/10『中ちゃんの俳句ひとくちメモ』/中ちゃん

中ちゃん:「客観写生」という用語に違和感を感じます。
先生  :どうしてですか?
中ちゃん:純粋な客観では、詩は成立しないと思うからです。
先生  :???
中ちゃん:自然科学的な客観では詩になりません。「客観写生」と言いながら、
     実は微妙に主観が入っているのだと思います。
先生  :なるほど。
中ちゃん:俳句で言う「客観」とは「主観」の集合体なのではないでしょうか。
先生  :なるほど。そうとも言えるかも。
中ちゃん:だから「客観写生」という言い方には、不備があります。
先生  :それは、そうかもしれません。ただし、俳句は論より実作なのです。
     よい俳句をどれだけ作るかが重要なのであって、俳論はあとまわしで
     よいのです。
中ちゃん:はい、理屈はあとまわしでよいことは解っています。
先生  :中ちゃんの句も、最近、良くなってきましたよ。
中ちゃん:ありがとうございます。
先生  :中ちゃんの句が良くなってきたのは、理屈によるものではないでしょ
     う?
中ちゃん:はい、自分でも理屈でないことは解っています。なのに、ホトトギス
     派の人達は虚子を初め、理屈を言い過ぎるような感じがしています。
先生  :理屈をこねるのは、ホトトギス派に限りませんよ。僕は理屈を言わず
     に、これからも実作一本でやっていこうと思っています。
中ちゃん:僕は理屈が好きですから、これからも理屈をこねたいと思っています。
先生  :(^^;;
                         今日も早起き 中ちゃん


■65--95/10/11『中ちゃんの俳句ひとくちメモ』/中ちゃん

中ちゃん:字余りについて教えてください。
先生  :字余りは、特殊な効果を出すために、わざとやるものです。575に
     収まらなくて、仕方なしに字余りになるのは良くありません。俳句は
     リズムが重要ですから。
中ちゃん:わざとやるんですかぁ。
先生  :上5が6音7音の字余りになっても、リズム的に許容できますが、中
     7や下5が字余りになるときには気をつけてください。
中ちゃん:早く言えば、上5は字余りでもいいんですね。
先生  :まぁ、そういうことです。(^^;
中ちゃん:中7が8音になっている句を時々見掛けますが・・・。
先生  :そうですか?「牡丹」では中7が8音だと、落とすか添削しますけど
中ちゃん:中8は良くないのですか?
先生  :リズム的に、好ましくないです。

註)そう言えば昨年の夏、「ジーンズ姿で踊りけり」(上5は忘れました。こひ
  つじさんの句だったかな?)が、ホトトギス同人・斎藤始子氏によって「ジ
  ーンズなれど踊りけり」と添削されましたよね。
  中8が良くないというのは、ホトトギスだけの特徴なのか、他の結社も同様
  なのかは、中ちゃんは知りませんが。

                      今週はヒマだぁ(^^) 中ちゃん


■66--95/10/12『中ちゃんの俳句ひとくちメモ』/中ちゃん

中ちゃん:切れ字は重要だといいますね。
先生  :切れ字は大切です。俳句独特の表現です。石田波郷もしきりと切れ字
     を奨励しましたが、同感です。
中ちゃん:それにしては、先生の俳句には切れ字が少ないですね。
先生  :ううっ。(^^;
中ちゃん:切れ字の使い過ぎもいけないんでしょう?
先生  :切れ字はインパクトが強いから、一句にひとつが限度です。
中ちゃん:ときどき「や」と「かな」や、「や」と「けり」を使った俳句を見か
     けます。
先生  :それは、やり過ぎです。たぶん初心者の句でしょう。
中ちゃん:うんうん。中ちゃんも昔、よく切れ字をふたつ使いました。
先生  :切れ字は、1ヵ所だけ、明確に使用しましょう。
中ちゃん:先生の句に切れ字が少ないのは、なぜですか?
先生  :私は体言止めをよく使います。それって、切れ字のつもりなんですよ
     自分では。(^^;;
中ちゃん:僕は「や」、「かな」、「けり」以外を切れ字と認めません。
     芭蕉さんの言うように「48字みな切れ字」なんてのは、困ります。
先生  :ははーー。_(__;)_

註)「たり」は切れ字だと思いますが、「たる」は切れ字と言えるのかどうかが
  まだよく解らない中ちゃんです。

              今朝は、通勤電車の中で10句もできてしまった
                            中ちゃん(^^)ルン


■67--95/10/14『中ちゃんの俳句ひとくちメモ』/中ちゃん

中ちゃん:先生は月にどれくらい俳句を作られるんですか?
先生  :「牡丹」の俳句手帳が3ヶ月で埋まります。
中ちゃん:げ。「牡丹」の俳句手帳は800句は書けますよ。
先生  :月産300句近くですかね。私は
中ちゃん:粗製乱造ではないんですか?
先生  :ほとんどは捨てるから、いいんです
中ちゃん:捨てることも大事ですね
先生  :俳人の格は、良い句をどれだけ詠んだかで決まります
中ちゃん:そのためには、月産300句でないといけないのですね
先生  :うまい人なら捨てる句は少なくなると思いますけどね
中ちゃん:僕は、あんまり捨てません
先生  :それはいけません。どんどん捨てないと
中ちゃん:はい
先生  :捨てることができるほど、句を作らなくてはいけません
中ちゃん:そんなに出来ないですよぉ
先生  :それは、まだ修行が足りないのです
中ちゃん:はい。多作多捨で頑張ります

              休みの日にかぎって早起きしてしまう 中ちゃん


■68--95/10/14『中ちゃんの俳句ひとくちメモ』/中ちゃん

中ちゃん:「付き過ぎ」とは、どういうことですか?
先生  :季語と他の部分の関連性がありすぎるということです。
中ちゃん:具体例で教えてください。
先生  :「我が心よるべなくして大枯野」。これは付き過ぎです。「よるべな
     い」と「枯野」が付き過ぎです。
中ちゃん:「枯野」には「よるべない」という意味が含まれていますものね。
先生  :そうです。しかし、あまり離れ過ぎると、今度は「動く句」になって
     しまいます。
中ちゃん:そのあたりのコロアイが難しいですね。
先生  :「我が心よろこばしくて大枯野」では、離れ過ぎて意味が解らなくな
     ります。
中ちゃん:そうですね。付かず離れずというところが、俳句の醍醐味ですね。
先生  :ついでですが、この例句はいずれにせよ、良い句ではありません。
中ちゃん:???
先生  :俳句で「我が心」なんて言ってはいけません。俳句はおしなべて「我
     が心」を詠むものですから、いちいち「我が心」なんて言うのは無駄
     です。
中ちゃん:なるほど
                  あぁ、今日はのんびりと休日を楽しむぞ
                                中ちゃん


■69--95/10/19『中ちゃんの俳句ひとくちメモ』/中ちゃん

中ちゃん:「月並み」とは、凡庸な句のことですか?
先生  :違います。昔、子規たちが、無季の句のことを「月並み」と呼んで、
     軽蔑したのです。
中ちゃん:へえ。知らなかった。
先生  :俳句は季節を謳う文芸です。無季では「俳句」の要件が満たされない
中ちゃん:うんうん。
先生  :無季の人たちは、なぜ自分の句を「俳句」と名乗りたがるのでしょう
中ちゃん:「短詩」とか「一行詩」と言えば良いわけですものね。
先生  :そうなんです。もっとも、私は「短詩」や「一行詩」を悪いと言って
     いるわけではないんですよ。
中ちゃん:とおっしゃいますと?
先生  :「短詩」でも「一行詩」でも良い作品はあるでしょう。ただ、それら
     は自らを「俳句」と名乗ってはいけないということです。

註)この「先生」は筋金入りのホトトギス派なので、俳句の定義が明快です。
  俳句の定義は「有季定型」であること、それだけです。そうでない詩は、絶
  対に俳句とは呼びません。それはそれでホトトギス派のひとつの見識なので
  しょう。
                                中ちゃん


■70--95/10/24『芭蕉の神格化について』/中ちゃん

中ちゃん:松尾芭蕉は俳句の祖と言えるよう人なのでしょうか。
先生  :芭蕉が神格化されたのは、明治時代になってからです。
中ちゃん:では、もっと前があるのですか?
先生  :連歌の発句だけが独立したのは室町時代からあります。
中ちゃん:では、なぜ芭蕉が俳句の祖としておさまったのでしょう。
先生  :江戸時代には、俳諧師というのがばっこしていました。俳諧をビジネ
     スとして、権勢を振るっていました。
中ちゃん:???
先生  :そこに明治維新が起こりました。維新後も内戦は続きました。内戦に
     かんする句が、それとなく(隠喩的に)詠まれました。
中ちゃん:それと芭蕉と、どういう関係が?
先生  :俳諧は、それまで漢詩とか和歌よりも下に見られていたのですね。と
     ころが、明治政府は俳諧のキャッチコピーとしての威力を見逃さなか
     ったのです。
中ちゃん:当時はメディアも少なかったですものね。
先生  :明治政府は、庶民を教育する人として、神官や僧侶を教導師として任
     命しました。でも、それだけでは数が足りないので、俳諧師も教導師
     として任命したのです。
中ちゃん:俳諧師も政府のお墨を得たわけですね。当時は文盲の人も多かったで
     しょうし。
先生  :そういうこと。でも明治17年に教導師の制度は廃止されます。それ
     でも、俳諧師たちは生き残らなければならなかった。そこで、芭蕉を
     俳句の祖として、大祭を催したわけですね。
中ちゃん:それ以来、芭蕉は神様になってしまったわけですね。
先生  :さすが中ちゃん。飲み込みが早い。
中ちゃん:(^^;
先生  :こういう状況下にあって、俳諧、短歌を改革しようとしたのが、ほか
     ならぬ正岡子規です。子規は俳諧を俳句と呼びかえた人ですね。
中ちゃん:なるほど。そうやって、歴史を見ると、俳句も一筋縄ではなかったの
     ですね。
                          もう寝るぞ 中ちゃん


■71--97/02/19『中ちゃんの俳句ひとくちメモ』/中ちゃん

久々に、ひとくちメモを再開します。
指導者は「景象」主宰・星野昌彦氏です。星野氏の師系は金子兜太です。

中ちゃん:俳句の一番重要なことを教えてください。
先生  :俳句は、もの言わぬ文学、沈黙の文学ということです。
中ちゃん:もの言わぬ文学ですかぁ。
先生  :提示の文学と言ってもよいかも知れません。
中ちゃん:ほう。
先生  :事実を提示して、その背後にある詩情を訴える文学です。
中ちゃん:たとえば(遠花火風に吹かれて別天地)という句はどうでしょうか?
先生  :(別天地)と直に言わないで、そう感じさせるのが(もの言わぬ)と
     いうことです。
中ちゃん:なるほど。
先生  :言葉を惜しんで使ってください。

もの言わぬ文学、提示の文学という主張は、ホトトギス派の「説明嫌い」とも通
じるかも知れませんね。(^^)


■72--97/02/20『中ちゃんの俳句ひとくちメモ』/中ちゃん

中ちゃん:先生は副詞、形容詞はなるべく使うなといつもおっしゃいますね。
先生  :はい、俳句は副詞、形容詞から腐っていきます。
中ちゃん:と言いますと?
先生  :副詞、形容詞を使用した俳句は、一読して良い俳句でも、二読三読す
     るとアラが目立ってきます。
中ちゃん:(散り急ぐことの淋しさ庭紅葉)なんていう句はどうですか?
先生  :悪い句ではありません。
中ちゃん:でも(淋しさ)なんて言ってますよね。これ形容詞です。
先生  :その点がこの句の弱点です。(淋しさ)と言わないで淋しさを醸し出
     せれば、この句はもっと良くなります。
中ちゃん:なるほど。では(もくもくと入道雲の聳えたる)はいかがですか?
先生  :副詞(もくもくと)が感心しません。
中ちゃん:じゃぁ、どうすれば?
先生  :副詞は形容詞以上に俳句を腐らせるものです。(青空や入道雲の聳え
     たる)程度でいかがでしょうか。
中ちゃん:はぁ、そんなもんですかぁ。

副詞、形容詞は主観が勝るので良くないと先生は言いたいのでしょう。しかし、
副詞、形容詞抜きで俳句を作るのは意外に難しいですね。
                                中ちゃん


■73--97/02/24『中ちゃんの俳句ひとくちメモ』/中ちゃん

中ちゃん:(岡城址うぐいす鳴きて道案内)という句があったのですが、いかが
     でしょうか?
先生  :あまり感心できる句ではありません。
中ちゃん:どこがいけないのですか?
先生  :この句には主観がはいっています。
中ちゃん:ほう。
先生  :(道案内)というのが作者の主観なんです。
中ちゃん:なるほど、うぐいす自身は道案内しているつもりは、ありませんもの
     ね。
先生  :そうです。俳句は、まず主観を排除しなくてはなりません。ものそれ
     自体を客観的に詠んで、それでいて深い心情を伝達するのが俳句とい
     う詩型です。
                                中ちゃん


■74--05/1/16『付記』/中ちゃん

このファイルは、FHAIKUのざぶたろさんが編集したものを、再編集したものです。
年代に若干の前後があります。

ここで出てくる先生は、2人。最初の先生は結社「牡丹」主宰・浅野右橘(あさ
のゆうきつ)先生です。先生は2004年11月に89歳でご逝去されました。
もう一人の「先生」は、結社「景象」主宰・星野昌彦先生で、こちらは元気ピン
ピンです。
                                中ちゃん

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