狼娘と微熱少年

ohkami_Sashie

「お集まりの紳士淑女の皆様。ここに居ります少女こそ、四千有余年の間、世界各地で語り継がれた『人狼伝説』の生き証人、幻の『狼娘』でございます。これまでは、満月の夜にしかその変身は見られませんでしたが、有名大学の先生方のご研究の成果により、満月に等しい光線を放つこの特殊ランプが発明され、この光線を照射するだけで、奇々怪々な変身をご覧に入れられる運びと成りました。さあさあ、とくとご覧あれ、ただ今娘の頭上の特殊ランプが灯ります。あらあら不思議、清楚可憐な口許が耳まで裂けんばかりに広がって、涼しげだった瞳から獰猛な炎が燃え立って参るのがご覧頂けますでしょうか。ほんの一瞬照射しただけでこれだけの変化をもたらすこの特殊ランプの光線を、テントの中で十分間照射したなら、さて、どうなりますか。世紀の変身をテントの中でごゆっくりとご鑑賞下さい」
 シルクハットに黒マント、いかにも怪しげな中年男が壇上で叫んでいた。その隣には、大きなガラスケースの中に狼娘が着席していた。狼娘は、日本髪に和服、たすき掛けに鉢巻きを巻いて、ご丁寧にフリルの付いた大型のエプロンを掛けていた。十七、八歳くらいだろうか、中年男のだみ声に合わせて特殊ランプが点灯する度に恐ろしげな顔を作ってみせるが、その時以外はとても可愛らしい笑顔をしていた。
 微熱を理由に学校を早退し、私鉄に乗って自宅のある駅まで戻り、改札を出ると駅前ロータリーの特設広場に見世物小屋がいくつも出ていた。僕は時間潰しに一通り見て回った。「狼娘」の小屋の前には、小一時間も立っていただろうか。その間に一度テントの中で世紀のショーが催され、少女は変身を遂げたようだが、僕はもちろん中に入ったりはしなかった。入場料が惜しいわけではなかった。インチキは嫌いだったからだ。
「担任の先生がわざわざお電話下さったのよ。熱が出て学校早引けするの貴方、今学期になってから四回目でしょう。身体面というよりも何か精神面で問題があるんじゃないかって、先生随分心配されてたわよ。大丈夫? 学校で嫌な事でもあったの? 誰かに意地悪されてるんじゃないの? 知恵熱かしら? お医者様お呼びする? 登校拒否なの? まさかねえ。カウンセラーの先生の方がいいかしら? 青少年非行電話相談……」
 自宅のドアを開けてから自室のドアを閉じるまで、母は話しつづけた。僕は、「疲れたから寝る」とだけ答えた。熱が出たのは事実だったが、別に身体や精神に異常をきたしたわけではなかった。学校は嫌な事だらけで、意地悪や仲違いは日常沙汰だったが、それくらいのストレスに負けるわけもなかった。要するに、今日は学校にいたくなかったので、熱を出して早退したのだ。そう、発熱ぐらいいつでも出来る。小さい頃からの鍛練の賜物として、僕の体には随意発熱機能が備わっていたのだ。悪友からは「微熱少年」とも呼ばれていた。
 夕方、部屋でゴロゴロしているのにも飽きて、遅刻して出かけた塾からの帰り道、商店街を歩いていると、「三上君」と名前を呼ばれた。振り返ると狼娘が笑って立っていた。
「何故?」
「テレパシー、嘘、君学校の制服に名札付けたままだったじゃない」
「ああ」
「随分『人狼伝説』に興味が有る様ね。平日の午後、三時間も眺めていた中学生は珍しいわ。」
「いいえ、学校を早退したんで、時間を持て余していたんです」いいや、君の笑顔に見惚れてたんだよ
「ズル休みね。ルール違反はいけないな」
「いや、本当に少し熱があって、調子が悪かったんです。それに『人狼伝説』なんてインチキに決まってるし」
「インチキ? だって君、テントの中に入ってないでしょう。自分で見てもいないでインチキだなんて判るの?」
「そんなのそうに決まってるじゃないですか」
「そう、そんな風になんでも決まってると思ってしまうのって、それはとても悲しい考え方だわね」
「あら、ミカったらこの街に来て三日でもう彼氏を見つけたの?それも年下の可愛い少年じゃない」狼娘の後ろから火吹き女が声を掛けてきた。その後ろには、イタチ女と女占星術師も見えた。
 僕は「じゃあ」とその場を足早に立ち去った。悲しい考え方なもんか。インチキはインチキだ。

 それから一週間が過ぎた。僕は、狼娘の言葉が引っかかったわけではないが、欠席、遅刻、早退もせず、真面目に学校へ行き、クラブ活動に汗したりした。駅前を通るたびに狼娘の事が気になったが、いまさらガラスケース越しに眺める気にもならなかった。

「……この沿線でも有数の高級住宅街であり、文教地区にも指定されている当駅の駅前ロータリーに、詐欺まがいの小屋掛け興行を誘致するとは、たとえ一時的なイベントだとしても許されない事であり……」スピーカーががなる。
「……市長は我々市民に、今時『狼男』や『イタチ女』を信じろとでも言うのか。第一、虚言により料金を受諾するは立派な犯罪行為ではないか。公共性の高い駅前広場での犯罪行為に対して、警察が手を拱いているのは、如何なものか……」地域報のコラムニストが書き立てる。
 新人市長の思惑は大きく外れ、市民は昔ながらの見世物小屋を楽しむどころか批判が相次いだ。
 犯罪行為とまで言われては、黙って見過ごすわけにもいかず、警察の立ち入り検査、関係者への事情聴取が行われ、駅前ロータリーの見世物小屋は軒並み臨時休業となってしまった。

「三上君、また学校さぼってんの?」前と同じ商店街でまた、狼娘に声を掛けられた。
「今日は勤労感謝の日ですよ」
「あっそうか。君あれから一度も見に来てくれないじゃないの。たまには遊びに来てくれないとお姉さん淋しいな。なあんてね」
「警察に調べられて、インチキがばれて、小屋閉めてるんでしょう。もうすぐこの街からも追い出されちゃうんでしょう?」
「インチキじゃないし、ばれてもいないわ。でも、この街にはもう居られないかもしれないわね。また場所を代えて稼ぐだけよ。世間はね、好奇心の固まりだもの。何処でだって稼げるわ。まったく、警察沙汰には参ったわね。ぜんぜん信じてくれないし、大学の研究 所に連れて行かれて、DNA鑑定だなんだって、色々検査されちゃうし」
「検査の結果が出れば、今度こそはっきりするんでしょう?」
「そうね。結果が出れば……。世間なんていつでもそうよ。最初はちょっとした恐いもの見たさ、でもすぐにそれだけじゃ飽き足らなくなって、全てを白日の下にさらけ出そうとする。そして、自分達と違ったものをもて囃し、それに飽きると今度は恐ろしくなる。自分達と違うことを毛嫌いし、根絶やしにしようとする。残酷なものね」
 何だかおかしな話の行方に狼娘が何を示唆しようとしているのか考えていると、いつのまにか、シルクハットに黒マントの中年男が立っていた。それに気付くと狼娘は、「もう行くわ。三上君さようなら。元気でね」と言った。

 その夜、地元の警察に押し入った二人組みは、現金や武器弾薬には見向きもせず、一直線に捜査資料の保管されている倉庫に向かい、たまたま居合わせた捜査員を気絶させ、倉庫内の資料の約80%を破壊した後、倉庫裏の窓を突き破り逃走した。

「捜査員は何故、手足や喉にイヌ科の哺乳類に噛まれたような歯形が残る外傷を負ったのか」

「証拠物件の壊滅を目的としながら何故、倉庫に火を放つという簡単で確実な方法を選択しなかったのか」

 満月の夜だった。



更新日 99/11/15
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