扇風機

senpuuki_Sashie

 刑事といっても毎日現場を飛び回っているわけじゃない。報告書の作成や必要経費清算といった内業が日常勤務の大半を占める。そして会議。捜査のはかどらない事件の会議ほど無味乾燥なものはない。
 今回の「都内アパート老女殺人事件」も事件発生後約二ヶ月が経過しているにもかかわらず、捜査は確証を欠き、会議はもう二時間以上も続いていた。「季節のある日本だから、夏の事件が秋に片付き、冬は自殺者の身元を洗い、春は変死者の弔い合戦となる。そんな四季折々の展開になってくれないものだろうか」なんてことを集中力の欠乏した頭で考えていた矢先、同僚のキヤマが脇腹をこづいてきた。「……ということで、いいな」部長の高圧的な念押しに、何の事やら分からないまま「はい」とキヤマに調子を合わせた。

広いキャンパスを持つことも出来ず、雑居ビルの寄せ集めの様相を呈した都内の大学の研究室に教授を訪ねた。捜査と訪問の関連については、道々キヤマの説明を受けたが、なんとなく狐につままれたような響きだけが残った。捜査会議の席上で白昼夢を見ていた俺をキヤマがからかっているのかとも思った。
「現在、一般家庭に広く普及している扇風機はその形状、性能がほぼ定着し、テレビや掃除機、洗濯機等に比べ、あまり革新がもたらされておりません」教授は肉の削げた顎を上下させて喋り始めた。
「これは、送風機能が他の家庭電化製品の機能に比べて発展の余地が少ないシンプルな機能であることとエアコン設備の充実や冷房機器の開発、普及により、扇風機の一般需要の伸びが見込めなくなったことに要因があると考えられております。しかし、扇風機の需要自体は大きく減少するこもなく、クーラーを嫌う近年の健康指向の中高年層を中心に安定した……」
「都内アパート老女殺人事件」は密室殺人事件であった。発見当時老女の絞殺体は寝具の上にきちんと横たわっていた。死亡推定時刻は発見が遅れたこととクーラーがつけっ放しになっていたことにより、数時間の誤差が生じたものの夜間であることに間違いなかった。物取りの犯行でないことは室内の状況から、怨恨の可能性が薄いことは近所の聞き込みから推定された。有力な目撃証言も無く、現場からも何も上がらず、捜査は暗礁に乗り上げていた。
「……あらゆる問いかけに対して首を横に振り、否定し続けるという知能の発達段階で幼児が見せるような行動の繰り返しが他の好条件と相互に作用し、温帯気候の地域において、言語に近いパターンを操り自主的に思考する個体の発生が何例か報告されました。それらは、使用する音程により、比較的高い機械的なノイズを操るイルカ型と、風を切る音を微妙に調整し人間の声に似た音を操るプロペラ型とに大別されます。その後、学会への発表を経て、WHO、CIA、NASA、NHK等による研究も進められ、現在では、『知能の存在は既に証明された』という説を主張する学者も少なくありません」
「教授、知能があるということは、過去の事象に対する記憶があるということなのでしょうか」キヤマがよそ行きの声で質問した。
「記憶についても特に実証はされていませんが、知能、思考、記憶はお互いに重なり合う部分がありますので、何らかのかたちで記憶機能が備わっていたとしてもさほど驚くべき事ではありません」
 キヤマと教授は扇風機に記憶があるという事をほとんど本気で話し合っていた。遺留品リストには確か旧式の扇風機が一台あった。俺の脳裏に、犯人は誰なのか扇風機に問いかける滑稽な刑事が写っていた。マジかよ?

 しかし、状況は悪い方向へもつれ込んで行き、教授の研究室の器材とスタッフの助けを借りて、実験というか事情聴取というかそういったものが取調室で行われる羽目になってしまった。
 おびただしい数の精密機器が運び込まれ、長髪やら茶髪やらの学生を中心としたスタッフがセッティングを進める間、署内の連中が入れ代わり立ち代わり覗き見に来たことで、悪い噂が確実に広まっていることが見て取れた。前代未聞扇風機相手の事情聴取について揶揄する声がもう聞こえてきているような気がした。
「コンニチハ」妙に明瞭な口調でキヤマが言った。取調室の机の上には老女の部屋にあった旧式の扇風機が置かれていた。扇風機に向かい合うかたちで教授とキヤマと俺が着席していた。教授の頭にはヘッドホーン、キヤマの前にはマイクロフォン、俺の前にはスピーカーが置かれ、それぞれ隣室のコンピューターや計測機器と繋がっていた。扇風機のスイッチは、先ほど教授の手でオンにされた。風量は弱だった。「私の声が認識できますか」「わかったら、どんな方法でもいいですから意志を伝達してみて下さい」教えられた通りの台詞をキヤマが何度も繰り返した。「コンニチハ」「私の声が認識できますか」「わかったら、どんな方法でもいいですから意志を伝達してみて下さい」「コンニチハ」「私の声が……」
 何時間たっただろう。前代未聞の事情聴取は、キヤマの声が鳴り響くだけで、何の成果もあがらなかった。扇風機はその首をゆっくりと左右に揺らし、教授、キヤマ、俺に均等に風を送り続けていた。それは、敏腕刑事の質問をのらりくらりとはぐらかす犯人の所作を彷彿とさせる部分もあったが、大のおとなが雁首そろえて扇風機に煽られているだけのようにも見えた。
「コンニチハ」「私の声が……」
「オバーサン……」えっ「オバーサンドコ」目の前のスピーカーからか細い少年の様な声が聞こえてきた。「オ、オバーサンは死んでしまった。わかるかい?」
「オバーサン死んだ?ボクオバーサン好き。風を送るといつもオバーサンお礼をいって、お話をたくさん聞かせてくれた。唄も聴かせてくれた。ボクオバーサン好き」
「オバーサンは誰かに首を絞められて殺されてしまったんだ。君は誰かがオバーサンを殺すところを見なかったかい?」
「オバーサン昔の唄が好き。風を送ると昔の唄を歌ってくれた。オバーサンもボクのことが好き。でもオバーサンボクを捨てる。もういらなくなった。クーラー買った。もういらなくなった。もういらなく……」
「君、落ち着いて思い出して。オバーサンが誰かに殺されることろを見なかった……」
 扇風機はいつのまにか送風を止めていた。目の前のスピーカーからの音声は次第に高ぶり、途切れがちになりながらも同じような意味を繰り返していた。俺の左手に奇妙な感触が走った。見るとそこには、さっきまでしっかりとコンセントに刺さっていたはずのコードがゆっくりゆっくり絡まりつこうとしていた。
「オバーサンボクを捨てる。もういらなくなったんだ。オバーサンボクを……」
 スピーカーからの音声に合わせて、コードは二重三重に絡み付き俺の左手を締め付けていった。感動に近い驚きが全身を駆け巡る中、事態に気付かず交信を続けようと試みているキヤマの肩を叩いてコードのくいこんだ左手首を指し示した。

 扇風機を逮捕するわけにも行かず、事件は迷宮入りとなった。扇風機自体は遺留品としての保存期間の満了を待たず、研究材料として教授に引き取られていった。社会的影響に配慮し、報道は一切禁止された。ただ、学会には実名を控えて発表された為、家電メーカー各社は早急な対策を余儀なくされた。全ての扇風機の取扱説明書の最後に次の一文が追加された。

「この製品にむやみに話しかけないで下さい」



更新日 99/11/15
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