影法師

kageboushi_Sashie

 影が私の邪魔をするのは、敵意からではなく、逆に私に好意を抱いているからだと思い始めたのは最近のことである。それ以前に、影に独立した感情や意志があることについて私は私なりの確信を得ていた。それは、たとえば日曜日、朝日を背にジョギングをしていて、目前に延びた長い影を見たとき、あるいは、夜間の室内で白壁に写る影の動きにふと気付いたとき、確かに感じるものである。そこには、別の人格が存在し、常に私を見つめていた。

 学生時代、女性と交際しようとしてもなかなか上手くいかず、上手くいっても二、三ヶ月で体よく振られていたという事実も今思えば、影の仕業だったのだ。彼女たちは皆、別れ際にこう言った「あなたには影がある」と。
 社会に出てからも恋をしては振られ続けた。そして先週、一年以上交際したアケミに振られた。
 六本木、深夜のラウンジで、そろそろ二人の将来についての話を切り出そうかと思っていた私に、アケミは言った。
「シンジさん、正直に言って。あなた他につきあっている人がいるんでしょ。その人とても嫉妬深い人なんでしょ。私わかるの。こうして二人でいるときも誰かに見られているような感じがするもの。いいえ。答えてくれなくてもいい。これは、私の直感で、女の直感は常に真実なの。私はシンジさんが好きだけど、シンジさんのことを私以上に愛してる女性が他にいるなら、仕方が無いわ。私、身を引くわ。さようなら」何とも論理性を欠いた話だが、そう言い終わるとアケミは店を出ていった。ラウンジには多数の照明によって生み出された多数の影が、私を取り囲んでいた。

 私は影の存在を呪った。影から逃れることの出来ない自分を呪った。しかし、そうして四六時中影の事で悩んでいるうちに、影の一途な恋心に思い当たり、少しずつ影がいとおしくなってきた。そして、私は夜毎影に頬を寄せ愛の言葉をつぶやくようになった。

 月の無い夜。午前三時を回ると弱い街灯の他は光を発するものもなく、影だけの世界となる。「俺はオカマじゃねえ。自分が口下手で女にもてないもんだからって、それを全部俺のせいにして、あげくの果てに俺のことを好きになって、どうしようってんだ。お先真っ暗だぜ」シンジの影が叫ぶ。
「まあ、そう怒りなさんな。俺たち影はもともと真っ暗なんだから」
かたわらの大きな影が慰める。その悟りきった声を聞くとシンジの影も随分と落ち着いた。
「寄らば大樹の影」である。




更新日 04/01/03
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